つかこうへい作演出「春田純一スペシャル・二代目はクリスチャン」
茨城県東海村には、原発事故の後処理の為に脛に傷持つ身の暗い過去を背負った人々が流れ着いてきていた。自らの過去の傷と向かい合う様に原発と対峙する彼らの心の支えはシスター今日子。全ての罪を許すと約束するシスターの言葉を胸に彼らは原発に特攻し被爆していく…。
見ている間中「…殺るならつか一人を殺ってくれ…劇場の空気中に何か散布する事だけはやめてくれ…」と念じていた。それほど生命の危険を感じさせる内容だった「二代目はクリスチャン」。
えー、一般教養社会学の吉田義雄教授、お元気ですか。永野、先生の授業ちゃんと覚えてましたよ。あの頃先生の心は「もんじゅ」でいっぱいでしたが、今はやっぱり東海村ですか…茨城県東海村の原発臨界事故を中心に、人間の性悪面を掘り下げた時事ネタ満載の脚本。いつ誰が何を持って怒鳴り込んできても不思議はなく、そりゃ春田さんや清家さんは襲いかかられても飛び道具を出されない限り返り討ちに出来るだろうが、つか劇団の面々は月のない夜には背中に気を付けて頂きたいものである。及川さんは大丈夫かも知れないが。
しかし芝居としてはとても良かった。前評判が非常に悪かったので「今年最後の芝居がコレってのはまずいよなあ、今からスクルージ取るかなあ」と思っていたのだが、どうして見応えがあった。大風呂敷を拡げすぎる、詰め込みすぎるとの感想の多い中、私はこれは消化されていると思った。決着が出ない問題を決着が出ない問題にぶつけて、つまり原発と神の領域についてだが、それを一人の女性に凝縮させて巧く表現したと思う。シスター自身が持つ二面性、二代目としての顔と、神の娘としての顔も、更に内的にこの問題を象徴していたのかも知れない。開けても開けても中身が出てくるロシアの箱が、二つずつ一つの大きな箱に入っているみたいだ(ん?この表現おわかり頂けるだろうか)
下馬評通り、何が春田純一スペシャルなのかはわからなかったが…。誰もが及川以蔵スペシャルだと思ったに違いないが。そして私にとっては武智健二スペシャル。HIJIKATAの時からタイプだったが、あれはお庭番ルックに騙されているんだと思っていた。しかし、猿回しの衣装を脱いでも、いいではないかいいではないか武智健二。大葉健二(初代宇宙刑事ギャバン。どうもギャバンに縁があるなこの舞台は)の一番弟子だそうだが、一体全体大葉健二に他に弟子がいるのかどうかはさておくとして、スリムで小柄な身体を生かした軽快なアクションと甘いマスク。JAC一小さい顔(こだわってるな…)慌てて「蒲田行進曲」のチケットまで抑えてしまった。武智健二観に「蒲田〜」に行くバカは私だけだ。そしていくらさんに「いやーまずいよ、『ア・ラ・カルト』で陰山泰惚れたとか言ってるのに、その二日後にはもう武智だよ」と言ったら「じゃあなちゃんその前は大内惚れたって言ってたじゃない」と一喝が。しまった。恋多き女か私…。
つか芝居を観ていると思うのだが、男というのはそんなに死にたいものだろうか。死に場所を探す為に生きている様な男ばかりが出てくる。「如何に生きるかではなく如何に生きたか」という言い回しがあるが、つか世界に関しては「如何に生きるかではなく如何に死ぬか」が最も重要なポイントになっている様な気がする。そして女はいつもそんな男達を憐憫の眼差しで見つめながら彼らを許し、抱擁し、彼らの為に命を投げ出す。…ふうん。私は女だが、男の美学の為に死ぬ男の為には、自分の命を使いたくはないがな。これが男女の性差というものか。つかはどうやって死ぬのだろう。ふとそんな事を思ったが、とりあえず暴漢にやられたりはしないで欲しいものだ。
白井晃構成・演出「ア・ラ・カルト」
ともかく隣の人がうるさくて。物凄い早口で、始まる前から「遊◎機械とは」を語り続け(それもどーでもいい事ばっかりだ)始まってからはキャストが出てくる度に「白井さんよ」「高泉さんよ」「陰山さんよ」三人しかいないんだからわかるっちゅーねん!!
「お店の人よ」「お客様なの」とシチュエーションの説明にも手を抜かないが、だから見ればわかるっちゅーねん。しかも始まる前に「こういう劇場だと、見ている方が楽しんでるかどうか役者さんにもわかっちゃうのよね」と言った言葉のせいか、物凄く「自分は楽しんでますよ」という事をアピールする為に、スイングしながら手拍子したり、身を折って大笑いしたりしているのだが、その度に私の椅子が大地震なんだっちゅーねん…。
今年十一年目になるアラカルト。短い芝居と生演奏とショータイム…という事で、どんなもんかいなと実は初めて観に行ったのだが、役者はいいねえ。どれも味があるし、客あしらいもいい。ショータイムも、それだけでお金とれるくらいしっかりしていて驚き。生演奏との融合も豪華な感じで、凄くお洒落。ただ、一部の芝居はぬるかった。役者がいいだけに、もっと本気で脚本書こうよと思ったくらい。適当な内容に「こんなもんかなあ」と内心がっかり。悔しいので幕間にロビーで配っているワインを呑んだらこれがめちゃくちゃまずくて更にがっかり。ところが、まずいワインの酒気で私の頭がおかしくなったのでないとしたら、二幕の芝居は見違えるくらい良かった。
明日から海外に単身赴任してしまう父親と小学生の娘の最後の晩餐。次に会えるのは四年後。明るくはしゃいでいる娘に振り回されっぱなしの父親とウエイターだが、記念にと回し始めたビデオレターに吐露された彼女の胸の内は…。あるいは、レストランに現れた老夫婦。足も不自由になり、手も震えっぱなしの老妻と、彼女を労る老紳士。お互いに身体も満足に動かないながらも、ダンスを踊り、静かに店を去っていく。もう、来年は来ないかも知れない老夫婦を見送るウエイター。そして彼は閉店の為にテーブルのキャンドルをひとつひとつ消していく。最後に残った、老夫婦のテーブルの小さな灯りを消そうとした彼は、静かにその灯で自分の煙草に火をつける。ギリギリに抑えられた照明の中たなびく紫煙。カッコイイ。これはカッコイイ。惚れるぜ陰山泰。胸が詰まるくらい美しい画に、演出の妙を見る。
で、それなりに満足して終演を迎えた私は、まだ蘊蓄を垂れ流し続けている隣の女の膝を超えてさっさと退場しようとした。…めきょ。…なんか踏んだ。それは人の鞄。隣の女の…。「まあ、いいや…」心で呟いてもう一歩。…めきょきょ。…しまった、反対側の足でも踏んじまった…しかもなんか、感触アリ…。「まあ…いいや…」ある冬の夜の一幕であった。
演劇集団キャラメルボックス「キャンドルは燃えているか?」
元パイロットの伊丹、プログラマーの礼子、SEの神戸の三人は、一年間・五千万円という報酬を呈示されて、有名家電会社ハリマの契約社員となる。仕事の内容は一年間工場から一歩も出ずに、新製品の開発に従事する事。そして一年後、報酬を手にする時には「一年分の記憶を薬によって消す」事が条件。
一年後、約束通りの五千万を手にしたのは神戸だけ。礼子と伊丹が手に入れたのは愚にも付かないガラクタで…?
大内・岡田の成長が著しい。なんか「TRUTH」の後、おっかーは男っぽく骨太になったし、大内は陶酔が深く激しくなった気がする。
で、「キャンドルは燃えているか?」。 脚本としてもよく出来た芝居だし、本当に美術がいい。テンポ良く進んで、クリスマスを前にした一日、楽しく気持ちよく過ごすにはもうこの芝居を観るしかない、という感じ。ビデオで観た筈なのに、全く西川一人いるだけで何度観ても新鮮である。元伊丹の太郎ちゃんも凄かったね。あの頭には役者魂を感じる。
「わかりやすくて何が悪い」の、キャラメルだが、本当を言うと見終わった後、いつも誰かしら考えさせられるキャラクターがいる。勿論本作では竜野である。泉の「助けて欲しい人がいるの」は、竜野と加古川二人にひっかけられた台詞であろうが、確かに作中の竜野は相当追いつめられている。それはマシンを完成させる事に対する、技術屋としてのコダワリだとか、科学者としての名声を求める焦りとかではなくて、何かもっと別のものに追われている様に見えるのである。そしてそのキーポイントは伊丹なのだ。
「あの時撃っていれば」…伊丹に、もしくは伊丹と礼子に、何か竜野は物凄いコンプレックスを持っている様に見えるのである。それは自分がなくしてしまったもの、二年前に泉にクリスマスツリーをあげた時の自分が確かに持っていたものを、二人が後生大事に抱えているからなのだろうか。竜野は過去など自由にリセット出来ると思ってしまったのか…それに対して、一年間の記憶を守る為に命を賭ける二人に、自分の傲りを責められた様な気がしたのか…なんかこの仮説もうまくないなあ。これでまた考えさせられるわけだなあ。うーん深い。
劇団☆新感線「LOST SEVEN」
ワルバラキス城に君臨するクイーンロゼに反旗を翻したスノーホワイトの乱から10年。女王の継子であるスノーホワイトは彼女と相討ちし、魔族はひととき姿を潜め、王国には平和が戻ったかの様に見えた。しかし魔鏡・セフィロトグラスの力を借りて再び魔族は世に蔓延し新たな帝国を建ちあげた。皇帝から命を狙われる少女・レッドローズは、かつての反乱軍であったゲリラセブンの残党を護衛に雇い、自分が安心して暮らせる世界を求めるのだが…。
新感線ほど女優の扱いの悪い劇団もいないだろう。衣装良かった。セット良かった。男優も、まあ良かった。しかし女性陣の演出にどれも納得がいかない。何で男をカッコ良く描く事にはあれだけ熱意を燃やすくせに、女を動かすのをあそこまで照れるのだろう。コモンのカッコ良すぎる最期の方がよっぽど照れて欲しい様なものだが。
レッドローズが羽野アキ。典型的なお姫様ヒロインではなく、利己的で打算的なワガママ娘を演じさせようとしてか、何だか妙な喋り方をするんである(それともこれって新感線における羽野アキの定番キャラ?)表記すると「ちょっとぉー、あんたたちィーっ、…なにものーっ!!」…って感じ。物凄く金八先生に似ている。序盤のタンロウと、このレッドローズの掛け合いからしてテンポが悪くて、先行きに不安を覚えた。
悪役の皇帝側はテンポが良くて面白かったのだが、それもクイーンロゼの魔力の一部が蘇ったというクイーンロゼゴージャス・デラックスの二人が出てきてからまただれてくる。最初は面白かったこの二人も、しまいには割れた声でがなりたてるだけでしつこい。まだしもまともに描かれていたのはゲリラセブンの一人、ムゴクの娘で女剣士のホセイか(するとこの人って死兆星…?)彼女も台詞の言い方を間延びさせているので、叫んじゃって聞こえなくなった台詞とかあったんだけどね。別に悪い役者を使っているわけではないのに、女優がいなければ面白かったに違いない芝居って何だ。もっと面白く出来ただろうと思えるだけに残念。劇団の崇拝者ではない観客も掴んで欲しい。とりあえず殺陣はお見事。ほぼ自分のところの役者であれだけやったのはご立派。
NODA・MAP「パンドラの鐘」
とある財団の依頼を受けて発掘調査をしていた考古学助手が、一本の釘を見付ける。その釘から、歴史から消滅していた古代文明の姿が浮き彫りにされていく。古代の女王ヒメ女と墓掘人夫のミズオの恋。考古学助手・オズと財団の令嬢タマキの恋。何故、ヒメ女王の存在は今まで歴史の中に隠蔽されてきたのか。発掘された巨大な鐘は何を意味するのか。現代と古代は交錯し、そして二つの時代が大きな変化の時を迎える…。
野田秀樹という天才が、一世を風靡した時代があった。「野田風の演劇」というものが日本中に浸透した。そしてブームは去って、しかし、野田は残った。見ているとそんな歴史を鑑みてしまう。
発掘された一本の釘から、ぐるぐると言葉をめぐって結局最後にはまた一本の釘に戻る。言葉遊びの妙技である。ちょっと頭の隅に残る様な、印象的な台詞はかならず、どんな後になってもファクターとして蘇ってくる。「水道の蛇口」とか。非常に良く出来ていて、台本だけでも貴重な作品だろう。しかしこれはロンドン上演とか出来ないだろうな、英訳出来ないもんな、と、そういうしょーもない事を考えながら観てしまった。
テンポは非常に良く、中盤過ぎまでは息をつく間もなくグイグイ引っ張られていく。そこまでは「こりゃあ今年のナンバーワンか?」と目を爛々とさせて舞台にのめりこんでいったのだが、後半になってから段々、どんな顔をして見ていればいいのかわからなくなってしまった。ラストに関しては受け止め方がわからない。その不安定さを野田自身が意図していて「してやったり」とこちらの気味の悪さをどこかで嗤っている様な気すらする。前半は野田のいい部分の結晶であり、後半は野田の悪い部分の結晶か。あくまで私にとっては、だが。
野田秀樹のこの残酷さやナルシシズムがたまらなく好きという人はいるだろう。そしてそれに傾倒して構築されていった芝居の風潮というのは確かにある。逆に、野田風演劇に反発する事によって出来た流れもある。いずれにせよ野田秀樹という男はやはり天才なのだろう。だが天才というのは万人に愛されるものではない。ちょうど蜷川版に主演する大竹しのぶが、その演技力には定評がありながらも、どこか狂気を感じさせる様に。この二人がつきあってたら本当に怖いねしかし。私はそんなデッドエンドなカップルには関わり合いたくないよ。
野田に酔うか、野田に悪酔いするか。私はとりあえず、野田に対抗するには、まだまだ酵素が足りない様だ。
パルコプロデュース「THE WOMAN IN BLACK」
ある男が、自らの体験した恐るべき出来事を、家族や親しい人に話して何とか恐怖を昇華しようとするが、生来の口下手からか巧く話せないでいる。ついに彼は役者を雇い、その男に若き日の自分の体験を語らせる。青年の日、彼は片田舎の人里離れた湿地帯にある古びた屋敷に、そこで死んだ老婦人の財産処分の為に派遣された。そこで出会ったこの世のものとも思えぬ体験とは…。
ぎゃー。怖い。耐えられない。作中、ポニーの馬車の音が怖い効果として使用されているのだが、見終わった帰りに夜道を一人で歩いていたら、自分のブーツの足音が「ぱからっ、ぱからっ」と聞こえる。ぎゃーポニー。怖いので走り出すと並足がトロットに。ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ。追ってくる。助けて。怖すぎる。
若き日の「ある男」=キップスを上川隆也、キップス自身と、彼の出会った全ての人を斉藤晴彦が演じるのだが、いや、これは見る方は怖いが演じる方は気持ちがいいだろうなあ。特に上川隆也。怖がらせる事が出来て気持ちがいい、というのではなく、何かと役者冥利に尽きる儲け役なのである。私がもし役者だったら演じてみたい役ナンバーワンだな。何というのだろう、ストーリーテラーほどやっていて気持ちのいい役はないのである。それでいて、運命に翻弄されるキャストも演じてみたい。傍観者ではつまらない。二重にも三重にも重なった劇中劇の為に、彼は若き日のキップスであり、彼に雇われた役者であり、恐怖に呑み込まれる青年でもある。一つの芝居でいくらでも面白い役が演じられるのだ。お金払ってもいいからやりたいよこりゃ。
まあ本人もそう思ったかどうか知らないが、上川隆也自身も気持ちよさそうにのびのびと演じきっていた。叫ぶ芝居でもうるさくならず、声が割れない。いい役者である。斉藤晴彦は無論名人芸。役の切り替わりはお見事。どこか夢幻がかった、得体の知れないサブキャラクター達の雰囲気がしみじみと怖かった。馬車が巧いよねえ。感服致しました。
怖いと言えばパルコ劇場の狭さがまた怖い。これ、もう一つ広い劇場だったら大して怖くもないのだろう。闇に呑み込まれそうな空間だからなおさら恐ろしい。リリオ公演もさぞ恐ろしかろうて。一幕が終わった後、ライトが点いた時の静けさにはさすがにぞおっとした。明るくなってぞっとするのだから不気味な事この上ない。二幕の最後では、前の席の女の子が二人、抱き合って泣き笑いになりながら「こわいー、こわいー」と言っているから、気持ちはわかるなあと思っていたら「貞子ー」と泣いていた。
アラン・エイクボーン作『恋の三重奏』
独身主義者のキャリアウーマン、バーバラの所有するアパートに、彼女の親友のニッキが婚約者のハミッシュとともに引っ越してくる。最初から馬の合わないバーバラとハミッシュだが、ふとした弾みで恋に落ちる。親友と愛人の狭間に立って、これまで品行方正だと信じてきた自分の人生が台無しになったと嘆くバーバラ。だけど初めてとも言える恋の情熱には逆らえなくて…。
期待通りの仕上がり、というと偉そうだが、このキャストで、この演出家で、この脚本ならイケるだろうと思って、まさにビンゴというところ。
ともかく、バーバラが可愛い。キャストの麻実さんは先般トークショーで「バーバラは意地悪な女」と言っていたけど、もう最初からかなり全面的に可愛い。ニッキが「私がバーバラが好きなのは、あの本音と正反対の行動!」と言うが、まさにそんな感じである。
女同士の息のあった芝居もいい。序盤のニッキとバーバラの会話はおしゃれな洋画を観る様である。意地っ張りで喧嘩っ早くて不器用で、ハミッシュを愛するのと同時に今までの自分自身も捨てられないバーバラ。愛すべき彼女が、彼女自身のままで幸せを手に入れる姿は幕切れはまさにハッピーエンドである。ここでバーバラに下手に健気で尽くす女になられたり、強くて辛抱強い女になられたりしても面白くない。色々と変わったところはあっても、本質的には幕が上がった(これまた慣用的表現。幕はなかった)時のままの、あのバーバラで終わってくれたというのが痛快である。
麻実さんの前作「リトル・ナイト・ミュージック」もかなり軽妙でお洒落な芝居だと思ったが、今作に比べると些か中だるみの感は否めない。今回は歯切れの良い展開で、バーバラの苦悩もちっとも鬱陶しくないし、これ以上引っ張ったらだれるな、というところで小気味よくスパッと幕が降りる。演出家のセンスであろう。さすが2001年の秋までスケジュールがいっぱいだという宮田慶子、お見事であった。
「愛してる」「とっとと出てって!」こんな可愛い恋人同士は久しく見た事がない。惜しむらくは原題「THINGS WE DO FOR LOVE」は確かに売りにくいタイトルであろうが「恋の三重奏」というのもいかがなものか。もう少しいい邦題はなかったものかなあ。
JACプロデュース「HIJIKATA-新選組異聞」
JACの芝居が観たかったと言うよりは、グローブ座に惚れ込んでチケットをゲットした。この前の三太丸で初めて行ったのだが、すっかり気に入ってしまったのだ。で、「HIJIKATA」。幕が開いた瞬間(慣用的表現。グローブ座に幕はない)「JACって顔の大きい人が多いんだなあ!!」といらぬ感心をしてしまって、ファンの方には誠に申し訳ない。でも大きいよ。びっくりしたよ。
タイトルの通り、土方歳三の一代記なんであるが、新撰組の解釈としてはセオリー通りでキャラも一番一般的なタイプなので、観てると結構ダルい。ここでこーなってあーなってこーなるんだよなあ、というのが、当たり前だが逐一わかってしまうので、いっそナレーションで時代が飛んでくれると「あ、こことここは端折って貰えるんだ」と、ホッとするくらいである。
しかし殺陣は抜群に面白い。池田屋襲撃などは本当に血湧き肉躍った。一切手抜きのない華麗なアクションで、斬る側ばかりか斬られる側もお見事。銀ちゃんが大騒ぎせずとも、階段落ちなどは当たり前の様にゴロンゴロン転がっていく。新撰組隊士一人一人の戦い方もきちんと個性がつけられていて、近藤の剣、土方の剣、沖田の剣、どれも違う。これだけでも新撰組ファンにはたまらない面白さである。「撤収!」と叫んだ近藤の汗には、ああ本当の新撰組もこうであったに違いないと錯覚させる様な生き生きとした迫力があった。
殺陣になると目が爛々と輝き、ドラマになると急にダレる。特に土方とおりくの恋はつまらない。何故って宮村優子がいつ観ても同じ表情をしているから。歯でも痛いの?と心配になるくらい終始一貫同じ顔である。声の抑揚と演技が見事なだけに、やっぱり一生声優をやっていた方が…と影ながら忠告したくなる。そして激すると仲良く噛んでしまう近藤と土方もどうしたものか。隊士を前に一喝する時に限って噛むんである。ううむ。リアリティと言えない事もないがな。怒鳴る時にどもるオジサンってよくいるからな。
それでも近藤と土方の、友情と呼ぶのではあまりに薄っぺらい絆は丁寧に描かれている。西郷の「近藤が土方を裏切るわけがない」という言葉が後になって重い。近藤と土方の別離の場面では、土方歳三という刀をおさめるのに、近藤勇という鞘は小さすぎたのか。近藤勇という鞘におさめるには、土方歳三という刀はいびつすぎたのか…などと考えてしみじみと涙していたのだが、それにしたってラストが良くない。沖田との別れや、近藤の斬首までやるのは蛇足ではないかとも思うが、ここはまあ個人の好きずきとして許すとしても、土方の死、そして暗転…
という時になっていきなりナレーションが「土方歳三の人生とは」を語り始めるのである。おいおい、最後に全部言葉で説明していいんだったら、あたしも今日から脚本家だよ。
館形比呂一「月」
いや、よく伸びるなあと…衣装が。伸びる伸びるどこまでも。これは便利だ、凄い繊維だと感心していたら、脱いだ一枚がまだステージにあるのに、同じものを着て現れたから「二枚あるんだ!!」と思って心から感動した。こんな便利な服が二枚も!凄い!タテ様!!
しかもチラシでおなじみのぺったりタイトへアが、ちょっとの衣装替えの間にいつものタテ様ボンバーヘアに。どういう事?!最初は水で濡らしてなでつけて、衣装替えの間に物凄い勢いでドライヤーをかけているんだろうか。そんな事をしたら…30を過ぎた彼の髪の毛は一本一本が宝物なのに…芸術の為なら抜け毛をも厭わないのか。それとも、タイトヘアの時は乱れ具合といい、どう見ても自前だったから、いつもの髪がヅラなのだろうか。それもまた凄い!タテ様!!…って、別に茶化しているわけではないのだが…深く内容を掘り下げて語ると、多分私のバカが露呈する。もし、あの公演が終わった瞬間にタテ様に「そこの君!立ちなさい!」と言われ「ではこの舞台を観た感想を簡潔に述べて下さい」と言われたらとても困ったと思う。「よ、よく伸びると思いました!」と、一言叫んで終わったかも知れない。二度と出入り禁止だな。
理解したかと言われると返答に窮するが、綺麗で迫力あるステージで飽きることはなかった。女性ダンサーがいるってのはいいもんですね。タテ様男前でしたよ。ハイ。人間の身体というのは綺麗なものです。それに尽きます。
ロベール・トマ作「罠」
新婚の妻・エリザベートに家出されて意気消沈のダニエル。刑事の捜査の甲斐もなく、戻らぬ妻を待っては酒を呑む日々が続いていたが、得体の知れない神父が現れた頃から事件はキナ臭い方向へ。ついに見たこともない女が、妻のエリザベートだと名乗って乗り込んできて、ダニエルは大パニックに…。
どう考えても樹生が主役なのに、どうして南野陽子の名前がトップなのか。元光GENJIも元スケバン刑事には勝てないのか。
で、久しぶりの樹生の舞台。もっとブラックコメディ的なものを想像していたが、思ったよりサスペンス色が強かった。なまじオチが読めるだけに、二幕目は消化試合という感じ。これは一幕を二時間にまとめて、一気に上演してしまった方が良かったのではあるまいか。
久々の樹生はなかなか健闘していて、涎も輝く熱演ぶりであったが、興奮しっぱなしの役回りも手伝って今ひとつ言葉は聞き取りにくい。その点南野陽子は軽やかな台詞回しで「ナンノ結構イケてんじゃん」と思わせたが、問題は私が一列目なんかをとってしまった事。他のキャストが別に、西欧人らしい格好をしているわけでもないのに、ナンノ一人ツィギー風のオールドスタイルなので、至近距離で見ると正直言ってコスプレである。やっぱり日本人が西欧人を演じる舞台は、少なくとも五列目以降で見るべきであるな。反省。
エリザベートはどこへ行ったのか。偽の、エリザベートと名乗る女は何者なのか。そして彼女の周りをうろつく怪しげな神父の正体は? …大オチは明白なのに、あんまり引っ張るものだから、逆に色々と考えてしまいました。パターンA。偽エリザベートと神父が詐欺師だった場合。刑事の捜査によって化けの皮が剥がされた二人。ようやく御用となって、振り回されていたダニエルはホッと一息。詐欺師二人組が連行された後で、刑事はダニエルに尋ねる。「さて、君は誰なんだ?」…誰もエリザベートを証明出来る人はいない。同様に、誰もダニエルを証明出来る者はいない。「夫人の遺産を手に入れる為に、君はダニエルになりすました。本当の夫妻は君が殺したんだ。私も危なく君の罠にかかるところだったよ」。
パターンB。エリザベートを殺し、ダニエルになりすましていた男(どうもこの設定が捨てきれないらしい)の前に、ついに「強力な証人」が現れる。「そう、死んだ筈のエリザベート夫人だ。君はこの山荘に押し入って、まんまと彼女を殺したと思っていた様だが、彼女は病院で一命をとりとめた。奥さん、この男は別人に間違いありませんね」「ええ、私のダニエルはこの人ではありません」連行される犯人。「それにしても、ご主人のご遺体がまだ見つからない。あの男が素直に自供するといいんだが」「ダニエルは地下室におりますわ」「どうしてそれを」「だってダニエルを殺したのは私なんですもの」で、二段オチ。はい、お粗末さまでした。
しかし偽エリザベートが乗り込んできた時に、ダニエルが彼女を「奥さん! ちょっと一体何なんですか、奥さん!」というのが気になった。当たり前だがダニエルの奥さんではないわけだし「絶対にミセス」に見えるわけでもない。多分これ、原本では夫人ではなくご婦人、マダムだったんだと思うんだけど「奥さん」って訳はないだろうよ。なんか翻訳と演出の青井陽治に恨みの残る芝居であった。
演劇集団キャラメルボックス ファンタジック・シアター「怪傑三太丸」
サンタクロースの日本代表を務める松太郎が、十年ぶりに息子夫婦と孫娘の待つ日本に帰る事から話が始まる。決してサンタクロースの力を使ってはならないときつく言われていたにも関わらず、松太郎は孫娘・みずきの頼みで、みずきが憧れる戦国時代の姫君・渚姫を呼び出してしまう。それどころか渚姫を守る侍の潮之介、次女の小波、そして渚姫の命を狙っていると言われている、忍者の吹雪御前一行までもが、姫を追いかけて現れたから事態は大混乱に。
別にネビュラめぐりをしているわけではないのだが、何となくその関係の芝居が続いておるな。もっとも「いつわりとクロワッサン」と「怪傑三太丸」の間には「ラ・マンチャの男」が入っているのだが。
だが、私は「ラ・マンチャ…」について、何にもわかっちゃいなかった。ともかくドン・キホーテの話、としか思っていなかったので、東宝らしーい板張りの風車に向かって幸四郎さんが「行くぞ、サンチョ!」「待ってくだせえー、旦那様あー」「きゃ〜っ、あぶないわ〜っ!(これは村娘)」…という話だと思っていたのだ。まさかあんなに愛憎渦巻く人生ドラマだったとは。
ま、そんなわけで、「ラ・マンチャ…」は自分で自分が恥ずかしいのでこっちに置いといて、「怪傑三太丸」。9月の時点で言うのも何だが、これが今年の私のベストワンかも知れない。もうなーんにも考えずに、ただひたすら「面白かった!」明るくて楽しくて元気で優しい芝居。だが奥行きも深い。脚本の成井豊が「TRUTH」と同時進行だっただけあって、二つの作品がかなり表裏一体を成している。私は「TRUTH」を観て、いい話だけどずいぶんロマンチックにまとまっているな、という気がしていた。メインキャストが綺麗どころだったせいか、脚本を共作した真柴あずきの繊細さが現れたのか、幕末の男達の物語にしては全体的な印象は少女漫画だった。「三太丸」は同じテーマに、男の成井が一人で挑む。こりゃあ見応えがありそうだとワクワクしていたのだが、これが期待以上。「TRUTHの先を行く成井からのメッセージが誰かの台詞に込められている」なんて言われていたから「どこだろう、私にもわかるかしら」「わかんなかったらどうしよう、ああ気になるわ」と思っていたら、どうもめちゃくちゃわかりやすいアレの事の様な気がする。アレでいいんですよね。ねえ脚本。
まあ、リアルタイムでは、日程の都合上「三太丸」を観てから「TRUTH」を観る事は不可能だが、もしどちらも観ていない方がいつかビデオで観る事があったとしたら、やはり「TRUTH」を観てから「三太丸」を観て頂きたい。「TRUTH」がより味わい深く。特に鏡吾。
「三太丸」では、潮之介という役回りが、個人的にとてもスキ。お姫様を守る侍。それもやっぱり無理めの恋をしちゃっている侍。「姫様は俺が守る!」イヤーッ、ウシオノスケサマーッ!「TRUTH」の美青年の友情より、お姫様と侍により熱いパッションを感じた自分をちょっと好きになる一瞬。「お前がいなかったら誰が私を守ってくれるのです」キャーッ、ナギサヒメサマーッ!!「俺は姫様が幸せになってくれればそれでいい!」シビレルーッ、ウッシーッッ!!…やっぱり私ったら幾つになってもギャル心を失わない女。そうよ人生ってホモだけじゃないんだ(もしもし、じゃあなさん)
そしてもう一人、思わず目を奪われる人物が。みずきの担任の有吉先生。久々復活の細見大輔。相変わらず弾けて飛ばしたいいキャラである。千秋楽で、声が枯れていたのが残念だったが、それでも有吉ダンサーズを率いたソロでは、そのしたたり落ちる汗と暑苦しい歌声が誰よりブラボー。彼のCダンスには会場の誰もが魅了された事だろう。私も辛いときにはあの踊りをやってみよう。C。
主題が明確に浮き彫りにされて、それに向かう登場人物がみんな元気良く真っ直ぐで愛情深い。「わかりやすくて何が悪い」とはキャラメルの芝居でよく聞く言葉だが、本当に、わかりやすくて何が悪いと言うのだろう。ロールシャッハテストやってるんじゃないんだから、この象徴的なキャラクターは物語におけるナントカの役割を果たしていて、演出家の孤独を表現している…とか何とか、そんなものを客が診断してやる義理はないのである。こっちは楽しむ為に劇場に行っているのだ。三太丸はそれに十二分に応えてくれた。更に私には何故か「となりのトトロ」を見ると、あの五月ちゃんとメイちゃんが田舎に引っ越して来るシーンから既に泣き出してしまうという弱点があるのだが、「三太丸」にも近い物を感じた。懐かしいのか切ないのか、はじめて見るのに奇妙なノスタルジーを感じさせる世界であった。
この芝居において、一つだけ誤算があったとすれば、千秋楽の日東京は34度を超える真夏日であったが、私はクーラーで寒いだろうと頑張って長袖を着ていった。ところがグローブ座は、会場全体が細見になったかの様な気温の高さで、汗ダラダラである。しかも男性客の目立つ公演だけに、会場全体が何となく体育会系の香りに。挙げ句そこへドライアイスがもくもくと。
世界に漂う空気は透明で美しい。会場の空気はちょっと腐敗気味。そんな怪傑三太丸。いつか涼しいお部屋でもう一度観たい。
G2プロデュース公演「いつわりとクロワッサン」
自分たちの稼業を家族に隠すため、とあるオフィスビルの一室にニセの会社の電話を引いて、互いのアリバイ作りに協力しあう五人の「空き巣」たち。朝はスーツを着て出勤し、昼間はそれぞれの偽りの職業を演じるために、業界専門誌を読んで時間をつぶす。総力をあげて愛する家族をダマし続ける彼らのもとに、メンバーの1人の不倫を疑って、彼の妻が訪れて…。
コメディとしては少々不完全燃焼か。いや糸こんにゃくには笑ったが。むしろ笑いの部分よりも「誰も取らない電話」(二度あるね。誰も取らないで鳴り続ける電話)とか「何をやっても後から追い越されてしまう」と諦める男とか、そんな部分に気が向いてしまって、むしろ哀愁漂う話になってしまった。
ラスト、余儀なく解散を強いられる空き巣グループの許に、ふってわいた様に「留守がちな成金屋敷」の情報が飛び込んでくる。「…やりますかあ?!」答える者はいない。表情も読めない。サンシャインボーイズの「罠」ならここで全員が走って行く。先生のヅラを取る為に。しかし空き巣達は黙って部屋を出て行く。哀愁だなあ…。「それでも自分は空き巣が好き」「空き巣こそ我が人生」というテーマでしめくくる事も出来た筈で、その為の伏線も色々と散らばっているのだが、逆に空き巣をやめようとするメンバーも出てきたりして、「罠」の様に「バカな事に一心になることによって絆を作る」という方向には向かない。あくまで、彼らは独りひとりだ。とられない電話、ロマンを追い求めて逮捕された空き巣、何をやっても後から追い越されると諦める男、誰もいない事務所に仲間の合い言葉を唱えながら飛び込んでくる女。なんかポイントだけ並べていくと殆ど悲劇である。
ドロップアウトしているからこそ彼らは空き巣である筈だ。その空き巣は、他の犯罪から比べるといつもバカにされがちで「唐草模様の風呂敷持ってないの」「口のまわりに丸い髭がはえてないね」と犯罪者仲間からからかわれるらしい。つまり、ドロップアウトした中の、更に下というわけだ。そこから「これだけの大仕事をしたら、もう空き巣なんて呼ばせない」「怪盗。悪くしても『窃盗グループ』だ」と、空き巣の地位向上を目指すも叶わない。仲間も散り散りになっていく。
実話を基にしたという事だが、G2が新聞の記事か何かでその話を見たときに最初に感じたものは「都会の落とし穴」みたいなものだったのかも知れない。最後まで観た感想としては「東京砂漠の哀愁」って感じだった。電話は、鳴らないわけではない。鳴るけれども、取られない。むしろ、電話をかけられている分だけ、出て貰えないのではなく、出ないだけ、彼らは世間に反抗しているのかも知れない。どこかからやってきて、ひととき共にして、またどこかへふらりと消えていく。鳴り続ける電話に背を向けて扉を閉める。哀愁だねえ…。
演劇集団キャラメルボックスSummerTour『TRUTH』
いや、びっくりしたびっくりした。今「TRUTH」の感想を打とうと思って、ああいい話だった、心が洗われる様だ、こんないい芝居を観て感動している私の鞄の中に、水戸泉のホモ小説が入っている事だけは知られない様にしなければなるまいな、と上演中どきどきしていた…という話を書こうと思って(だってサンシャイン劇場の前にK-BOOKSがあるのが悪い)ふと「そうだ、今日水戸泉の本買ったんだよな」と思ってそれを開いたら、ハラリと一枚名刺が出てきた。…あら、名刺だ。男性の名刺だ。しかし覚えがない。鞄の中でうっかりはさまったにしては、あまりにも私に関係ない、某有名デパートの食品売場担当者の名刺である。貰った覚えもなければ貰う筈もない。…すると、この名刺はこのホモ小説の中にはさまっていたのか?!この、池袋にある某有名デパートの食品売場担当者(男性)の名刺が!!
K-BOOKSは古本屋であるから、前の持ち主のものがはさまっていたとしても不思議はないが、どうしてこの女性が買うのもはばかられる様なホモ小説の中に男性の名刺がはさまっていたのだろう。前の持ち主の名刺とは限らないが。しかしその場合前の持ち主は何を思って水戸泉の本に名刺なんてはさんでいたんだ。教えてくれ高橋さん(実名出すな)
…と、びっくりしたのですっかり下世話な話から始まってしまったが、良かったのだ「TRUTH」。私はいい芝居を観ると、真っ直ぐ家に帰らないという性癖がある。多分余韻に浸りたくて、日常の空間に戻りたくなくなるのだろう。友達とご飯を食べたりしている間はそれに含まれないが、一人になると駅から家までの間をふらふらと彷徨い続けたりする。本日は駅から家までの10分の道のりに一時間半。かなりキている様子である。
ここ二週間ほど、非常にくだらない事にずっと怒り続けており、こん畜生と思い続けていたのだが、芝居の最後の台詞を聞いた瞬間、そんな事はすっかり頭から抜けてしまった。「TRUTH」がいい、とか、役者がいい、とかいう事よりも「ああ、芝居っていいんだ!!」と今更ながらに惚れた次第である。芝居とか、舞台に対する愛情を取り戻させてくれた作品だったな。心が洗われる。こんなに清らかな気持ちになったのは久しぶりだというのに、どうして水戸泉から話が始まってしまったのだろう。
幕末の若き藩士達が織りなす青春群像、男同士の友情、キャラメル初の悲劇…という事であったが、閉幕後の爽やかさはキャラメルならでは。私の大好きな山本周五郎の(私は卒論で山本周五郎を選ぼうかと思ったくらい山本周五郎が好きだ。しかし国文学というのは、何でか知らないが作者の経歴や心情を調べ上げないといけないので、そんなに作者自身を掘り下げたら、作品を無心に感動出来なくなると思ってやめたくらいの周五郎ファンである)「失蝶記」が下敷きになっているという事で、先入観がバリバリにあったが「失蝶記」というより、何となく見終わった後の手応えは「松風の門」に近いか。「失蝶記」と本作に共通しているのは、耳の不自由な青年が奸計にはまって大親友を自分の手で斬り殺してしまうという点である。「失蝶記」で一番印象に残るのが「七生かけてもいいから彼の言葉を聞かせてくれ」という台詞だが、本作ではあまり重きをおかれなかった様だ。いや別にいいんですけど。いつ来るかと楽しみにしていたものだから。
あとせっかく耳が聞こえないんだから(変な表現)英之助か鏡吾が何か告白しているのに、弦次郎にだけは聞こえない、という展開があると、より芝居的で面白かったかも知れないな。英之助の最期とか、鏡吾の心中の独白とか。でも、より悲劇になるから、まあそんなに苦しくならなくてもいいんだけど(弱腰)
誰の心にもTRUTHはある。弦次郎にも、英之助にも、初音にも。鏡吾は「仲間だと思っていたなんて、吐き気がする」と言うが、仲間だと思っていたから、皆が好きだったからこそ、彼は自らのコンプレックスに耐えられなかった。彼らと対等でありたくて、置いて行かれたくなくて、それが彼を奸計に走らせたのではないか。私はそれが彼のTRUTHだと思う。とりあえず上川を観たくて出かけて行ったので、鏡吾を擁護して終わっておこう。「生きることが目的ではない、死ぬことが終わりではない、生死を超えて生きとおす信念、なにものが亡ぶるとも信念の亡ぶることはないのだ」(山本周五郎「荒法師」)それにしてもあの名刺は一体…。
劇団☆新感線「直撃!ドラゴンロック2〜轟天大逆転 九龍城のマムシ〜」
主人公・剣轟天は忍法とクンフーの達人。通りすがりに改造人間・鉄腕イワンを助けた事から、マフィアともつながりがあるという香港の芸能プロダクション・ジョニーズエンターテイメントの陰謀に巻き込まれて行く。
私が演劇をやっていた90年代前半というのは、女はキャラメルボックス、男は新感線にハマっているというのが定石だった。そんな中、東宝系大劇場の芝居ばかり見ていた私というのはかなりおかしな奴というか、ダサい奴だったわけで、みんな一生懸命小劇場系の芝居のビデオを見せてくれたものだった。田舎から出てきた子に代官山で服をみたててやる様なものだったのか。
で、そんな頃を思い出しつつ、行って来ました新感線。橋本じゅんが「劇場出た瞬間、何にも覚えていないくらい内容がない芝居」と言っていた通り、見ているハシから忘れていく様な素晴らしいストーリーだった。ジョニーズ事務所の社長・ジョニーレッド・魔夢死郎(まむしろう)。何故か轟天に恨みを抱いているらしい、死の卓球ラケットを持つ刺客・梶目いっこ。敵か味方か謎の男・セイント死神。ジョニーズ事務所を追い出されて、今はフンドシバーで働く元アイドルのカンサイキッズ…登場人物だけで相当濃いドラマが想像されるが、ただひたすら登場人物「だけ」である。
魔夢死郎は登場する度に全裸で剣劇(?)「裸ザムライ」を演じないと気が済まないし、敵か味方かわからないセイント死神は死のトランペットを持ち、彼の奏でる「死神のバラード」を全て聞いた者は、象も一撃で殺すという毒針の餌食になる。だが、だからと言ってなんだというわけではない。二人ともそういう設定を持っている「だけ」の人なのである。
ただキャラクターだけで引っ張る三時間なんであるが、決してそれが悪いというわけではなく、これが本当に狙ってこういう芝居なのだから痛快である。登場人物達は無駄に設定を持ち、ひたすら名前とプロフィールだけで笑いをとろうとする。「こんな奴いたらおもろいよな」「したらこんな奴はどーや」というだけで出来た芝居であろう。ハッキリ言って出ている役者達自身が一番楽しい芝居である。演劇仲間相手に「お前今度どんな役やんの?」「ヒマラヤエクスプレス一号って言う、改造された雪男の役やねん」「うっそ、めっちゃオモロイやん」という飲み屋での会話が想像出来てしまう。私たちは彼らに楽しませて貰うと言うより、彼らの楽しさを分けて貰うという感じ。まあ実際それでそれなりに面白いのだから別に不満はない。
私も楽しんでいたが、ともかく男の子達の反応といったらない。前の席の子などは最初から最後まで身を乗り出して、大喜びしながら見ていた。劇場を出た後も、目をキラキラさせて声高に話しているのはみんな男である。私は男の子がこんなに喜ぶエンターテイメントを見たのは初めてだ。やはりあの「俺もやりてえ」ひいては「俺にも出来そう」と思わせる雰囲気というのが、世の演劇青年(しかも軟派気味の演劇青年)を夢中にさせるのだろう。
しかしあれは、勿論ある水準以上の実力を持つ役者がやるから見られるんであって、本当に素人が、自分たちが楽しめる芝居を作ろうとしてああいう事をしたら、見られたもんじゃないとは思うんだけどね。少年よ大志を抱け。
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