Mr.Miracle(6/2)
カズ最終メンバーに入って欲しかったなあ。くそう。私はサッカーの事なんて何にもわからんのだが、その私にとって、Jリーグが始まる前に知っていたサッカー選手なんてカズ一人だ。まあ日本国民の半分、いや三分の一はこの程度の意識だった筈である。サッカーと言えばカズ。思い起こせばマガジンかサンデーの漫画で、日本の高校生が単身サッカー留学したというのを読んで凄い奴がいるものだと思ったが、それがカズだった。サッカーと言えばキャプテン翼しかない様な時代から、カズは日本のサッカーを支えてきたのだ。そのカズを、例えスタメンにならずとも代表に入れないというのは全く監督も情けがない。勝負師に情けは無用という事か。
岡野のVゴールで日本チームが歓喜に沸いた時、ベンチからも選手が飛び出して来たが、あの時カズはさっさと日の丸の旗を被って、いつの間にか一番目立っていた。何げなく、何もしなくても王様の位置におさまってしまうカズのちゃっかりしたふてぶてしさが、私にはとても頼もしかった。W杯でもカズの頼もしさはきっとチームとサポーターをもりたててくれると思っていたのだ。くそう。カズ。Jリーガーではなく、サッカーマンたるカズこそ、世界の檜舞台には相応しかったのに。日本でコメントするカズかあ。寂しいなあ。
私はカズではとても好きなエピソードがある。Jリーグが始まって間もない頃に、カズVSヤスの試合があって、結局カズのヴェルディが勝利をおさめた。その時にカズがお母さんに言った台詞というのが「途中ヤッさんのボール奪ってごめんね。お母さん泣いたでしょ」というものだ。細部は違うかも知れないが、私はこの言葉に妙に泣けたのを覚えている。
ああめくるめくカズと私の思い出。と、言ったところで、私がカズに関して持っているカードはこれで全てコールした様なものなんであるが、そんな私でもこの代表漏れは妙に悔しい。完全にスイッチが入ってしまったな。
日本サッカーを最も愛した男が晴れ舞台を背に帰ってくる。宝塚劇場を最も愛した男が呼ばれもしなかったのをふと思い出す。まあ、これは出ない事が男の花道だったのかも知れないが、カズの花道はどこにあるのだろう。
笹持ってこい(6/6)
美容院で「ダイエット特集号」のアンアンを真剣に読んでいたら、死ぬほどのアンアン好きと思われたらしく、今週号のアンアンも出してくれた。恒例の「好きな男・嫌いな男」特集だったので、もの静かに特集ページを全て飛ばして、雑貨のコーナーと星占いだけ読んでいたら美容師さんの一言。「永野さんってタレントとか全然興味ないんですね、硬派ですねえー」「…そうかね」日常の中の空虚な一コマであったな。さて。
本日のテーマは「KYO TO KYO」はズルイ、という事なんである。何がズルイと言って、本公演のミュージカルは別にズルくないのであるが、あの特別公演というやつ。ジュニアにずっとコンサートをさせ続ける。出演者は「ジュニア」であるから、例えばその日に原ちゃんがいなかろうが、ハマーがいなかろうが「ジュニーズジュニア」が出ている事に変わりはない。だからオッケー。極端な話、ある日の公演に限って徳島第二中学(創造。あるかな)の2年3組の男子の皆さんが全員「僕達ジャニーズジュニアです」と言って登場してくれば、それはジャニーズジュニアスペシャル公演なんである。
私は別に、ジュニアのスペシャル公演が、そんな風に昨日今日入った子に出来る事だと言っているわけではない。幸か不幸か私は四月のスペシヤル公演を見たが、コンサートはよく出来ていたしみんな頑張っていてとても面白かった。真面目にお稽古しなければ出来ない、充実した内容だった。だがジュニアのファンの女の子は、楽しみにして見に行ったらお目当ての彼がいなかったなんて事もあったのではないだろうか。事実私が見に行った公演の時も、いない子の団扇を持っている子が結構いたものだ。光GENJIのコンサートに行って内海がいなかったら私は頓死する。七人しかいない光GENJIのファンでさえそうなのだから、百余人もいるジュニアのファンならばなおさら「全員好きだからいいの。ああ今日も楽しかった」とは言いきれないだろう。
そんな通常公演を上回ってズルイのが、ゲスト公演である。内海光司の春のゲスト公演というのは、あれはまあ番宣であろうと納得していた。たまたま関西地方で続けて仕事があったから、東京に帰らずにその間だけゲスト出演した、という程度のものだろう(毎日トンボ帰りして、ヒゲダンスする為だけに通ってきたんだったらいやだな)…と、納得していたんであるが、タッキーのゲスト公演に人々が色めきたつのを見て、なんか変だなと思いはじめた。総統がゲストに出て、それで夏のゲスト公演の時の様に30分間コンサートをやるというのならまだいいが、15分MCに出て来て、一曲かそこら歌い、さらにアンコールでもう一度出てくる程度の出演量であったら、それはわざわざ告知すべき事ではない。何月何日には京都に○○君が来たんだよ! 見られた人はラッキー、見られなかった人は残念だったね、という程度に止めておくべきである。光GENJIのコンサートにだって飛び込みで後輩が来た事は何度もあった。だからと言って横浜アリーナの前に「本日のゲスト・SMAP」と貼り出したりはしなかった。PLAYZONEで「何月何日ゲスト・内海光司、うつみ宮土理」と告知してある様なものである。従来のやり方から考えればちょっと変である事は否めない。
ずっと、誰が出ているんだかわからないジュニア公演を続けて、ちょっと中だるみで売れゆきが落ちてきたら起爆剤に空いているタレントを投入する。人気者は忙しいから、特にレッスンはさせないで、持ち歌の一つも歌ってお喋りして帰っていく。「ちょっとの出番だったけど、でも○○くん最高カッコ良かったから京都に来て良かった!」とファン喜ぶ。うーん、消費者が喜んでいるんだから結果としてはいいんだが、しかしやっぱりズルくないか、これって。
光GENJIがもうないからって伝説的に語る気はない。ただ私が光GENJIしか知らないから光GENJIを例にあげるだけだが、コンサートというのはそれまでの練習成果の披露の場だと思っていた。言わばアイドルのオリンピックだ。切磋琢磨して全員の構成を、そしてそれぞれのソロを極めていくからヒロ君が「星に願いを」をやれたのだし、晃が「LOOK
OUT」を作ったのだ(まあ約一名「BAD BOY」一曲で世の中を渡っていこうとした人もいたが)楽に出来るステージなどない。ジュニアはいいが、ゲストはズルイ。だがゲストを告知して商売するのはもっとズルイ。
「KYO TO KYO」はコンサートではない。…らしい。では何かというのは言及されていない。「KYO TO KYO」と言うとあのくさい竜が出てくるミュージカルの事で、「KYO
TO KYOスペシャル公演」と言うと、ジュニアのコンサート、時にゲストのおまけつき、という事らしい。まるで店頭で「もげげんげはに丸、あります」と言って販売し「もげげんげはに丸下さい」という客が来たら「あいよっ、いいのがあるよ!」と言って時にリンゴを販売し、時に茄子を販売している様なものである。うまいな。コンサートならば「こんなコンサートってない!」と言えるしミュージカルなら「こんなミュージカルひどい!」と言えるが「こんなKYO
TO KYOひどい!」と言ったってお店の人は「えっ?これがKYO TO KYOですよ。お客さん、何と勘違いなさったんですか?」と言うだけである。KYO
TO KYOに品質表示はない。
夏に内海光司が突然出ようものなら、私は万策を尽くして見るべく努力をするだろう(もっとも8月の半分は出張しているから、見られない可能性の方が高いが)そして一曲でも歌おうものなら「もう死んでもいい」と大喜びするに違いない。死んでもいいわけがない。「豹になれ」を作り込んだ男が、ステージの上で一曲へらへらと歌うのに狂喜乱舞しているだけの事だ。それは私にとっても内海光司にとっても退行以外のなにものでもない。
二毛作の様に事務的に興行収入をあげるなら、ジャニーズはもはやクリエイターではない。そういやパパ調子悪い様な事言われてるよなあと、ふと利益循環のベルトコンベアーの上でため息をつく。
有名になりたい(6/10)
私は有名になりたい。内海光司が有名にならないのならせめて私が有名になって内海光司を有名にしたい。そんな衝動にかられる事がある。ねるとんに出演して「好きなタレント・内海光司」というテロップを全国にしらしめたいと切望した事もあったが、この凡庸な容姿をしてねるとんに出演してもいい恥をかくだけだろうと思うと踏み切れなかった。人間誰でも自分が可愛いものだな。
犯罪を犯せば有名になれるだろうなあと思いつつ、それもなかなか踏ん切りがつかない(つかなくてよろしい)。飛行機事故にあったら必ず、墜落する間に「もう内海君の活躍を見られないのが残念です。天国から応援しています」と書き残そうと思って(そうすると死後それが発見されて「あの○○機事故、最期の瞬間にファン悲痛の遺書!」「天国のファンの為にも…元光GENJI涙の決意!!」)機上ではいつも手の届く所に紙とペンを置いているのだが、幸か不幸かまだそのチャンスにも恵まれない。
ヨットで世界一周をすると「徹子の部屋」に出られる様な気がする。そうしたらもう言ったものがちだ。全国放送で一回でも多く内海光司の名前を連呼するしかない。「今日のお客様は、日本人女性で初めて単独ヨット世界一周を成し遂げた…」「どうも、内海光司です」「ええと、あなたはまず横浜港を出てから…」「内海に向かいましたね。内海光司から内海光司の方に流れて、途中嵐にあったので内海光司で死ぬかと思いました」「カーッッット!」はっ、しまった。「徹子の部屋」は録画であったか。では誰か私を「いいとも」に呼んでくれ。誰か私の友達が私を紹介してくれないだろうか。みんな、出ろよいいとも。そしたら「えー昨日の○○さんからのご紹介で、今日のお客様は…じゃあなさんですッ、どうぞ!」しーん…。御義理の拍手もない。だけどじゃあなへっちゃら。だっていいともだもん。このあと内海光司に回せるんだもん。内海の電話番号なんて知らないけど、そんなのフジテレビが調べてくれるんだもん。『はい、内海です』「じゃあなでーす」『…は?』「(タモ)と、ともかく明日来てくれるかなっ?」『いいともー』たいへん、そのままアルタの外に飛び出してキャンセル待ちしなくちゃ。そんなゲスト見たことない。
生放送であれば、カメラが向けられた瞬間に何か大事なものを捨ててしまえば「内海光司! 内海光司ヨロシクッ! 内海光司ーッ! 内海光司万歳!」と叫んで踊り狂う事も可能であろう。しかし要注意人物とみなされているのか、私は録画にしか出くわした事がない。どこだ生カメラは。やっぱりズームイン朝でトメさんに手を振るべきか。
あと私が有名になるのではなく、もっと狡猾に有名人と結婚するという手も残されているじゃあな独身25歳。今ならば迷う事はない。神田正輝でキマリだ。これ以上の話題性は私が紀宮妃殿下と結婚しない限りないだろう。今マッキーにプロポーズされたら私は間違いなく受ける。そして記者会見の席では「お互いに何と呼びあってるんですか?」「僕は…美衣ちゃんと」「わたしは内海光司と呼んでいます(なんでやねん)」「プロポーズの言葉は?」「『いっしょに内海光司を応援していこうね』って」「自分のことの様に…内海光司の事を想える家庭を築いていきたいと思っています」聖子のビビビ婚に対抗して、内海光司婚と呼んでブームになって頂きたい。
蒼き炎の勝利の女神(6/21)
朝、テレビで「ジャマイカ人は音楽をかければつい踊ってしまうから、ジャマイカ戦では音楽をかければいいんじゃないか」という様な事を言っていたが、なまじビートの効いた曲でリズムに乗られては困る。ここはやはり演歌を大合唱するべきだろう。対ジャマイカ戦に限り日本の応援歌は「さざんかの宿」にすべきだ…と主張しようと思ったのだが、内海光司の歌声の方がかなり効く様な気がしてきた。あの音符に表せないリズムとメロディーはジャマイカ人の音楽センスにはかなり応えるに違いない。日本人にも相当応えるが、日本の選手にはその前に特殊訓練を施しておくといいだろう。
対ジャマイカ戦の応援歌は「君をさがして〜明日はもっと素敵な君がいる〜初恋」のスペシャルメドレーでいこう。うわっ、私その試合見ない。でもそれで見事日本チームが勝利すれば、内海光司の歌声は一躍、国民的唱歌として認められるに違いない。凄いなあ。歌ではブレイク出来ないと思ったけど、こんな使い方があるなんて。青き炎の勝利の女神と呼んでおくれ。苦しゅうない。
そんなわけでは、三浦ヤッさんが今でも現役選手だという事すら知らなかったサッカー素人のじゃあなさんでも、日本チームの初勝利初ゴールには斯様に心を配っているわけである。
しかし、清水圭が「芸能界一のサッカー通」だなんて、私はW杯始まるまで知らなかったぞ。いつから決まったの。プレゼンと根回しの大事さを改めて思い知るな。内海光司はどうしてこう一芸に秀でないのだろう。将来を見越して10年くらい前から「サッカーと言えば内海」を売り込んでいれば今頃便乗ブレイク出来たのに。
内海光司は広く深くマニアだがどうしてもツメが甘い。スノボではテクニックで長江健次に敗れ、バス釣りでは設備投資不足から植草に敗れ、巨人ファンとして名を馳せるにはこの世界あまりにもライバルが巨大すぎる。少年隊と言えば内海、と言いたいところだが、これだって今は光一やジュニアに譲るより他あるまい。もっとも誰も芸能界一の少年隊通なんて探す用事はないだろうけど。
今からだったら、2002年のW杯までにサッカー通を狙うというのも手であるが、多分同じドジョウを狙う奴は多そうなので(大体ジャニーズ事務所からして一丸となって狙いに行きそうである。柳の下大騒ぎ。テーマソングの一つも歌うであろう)からめ手を狙って「芸能界一の韓国通」になってみるのもいいかも知れない。ハングル語もペラペラ。芸能界一のキムチ通。キノッピー印のキムチ発売。キムチオタクでキムタクというのはどうだろう。西暦も2000年を超えればこんなベタさも逆に新鮮ではないのか。嫌だな、そんな時代。
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