さらばDiary

底が知りたい(9/30)

今朝の西村知美挙式は凄かった。
ワイドショーではアムロちゃんの教習所特別待遇の方が重点的に扱われていた様だったが、どうしてもっと知美を見せないのか。一般視聴者にはあまりにも刺激が強いからなのか。

知美の結婚式はナムコワンダーエッグで行われた。知美が遊園地が大好きだからだ(ちなみに東京ディズニーランドでやりたいと言ったら断られたからだ)。ドレスは知美の希望通りのものが制作された。知美がお花が大好きだからだ。誓いのキスは12秒。知美は直立不動で花婿の接吻を待った。知美のファーストキスだからだ。顎を上げず、まっすぐ正面を向いてキスを待つ知美に、花婿は苦心して引き寄せ、かがみ、首を駆使して接吻した。全くご苦労様な事だった。そして新婚旅行はラスベガス。カジノに行くわけではない。知美は遊園地研究家だから。ちなみにそれまではベッドを共にしないそうだ。花婿はソファーで眠る。

だが、そんな事はもうどうでもいい。あまたある知美の伝説の中ではほんの些細なエピソードだ。私が度胆を抜かれたのは、さだまさし(本物)が登場して「秋桜」を歌った時の映像だ。自分の挙式でさだまさしが「秋桜」を歌う。普通これは泣くだろう。花嫁は感無量の筈だ。だが知美は悠然と微笑んでいた。「世界のびっくり映像・パンダの赤ちゃん誕生の瞬間」のVTRを見るのと何ら変わらない笑顔で、知美は「秋桜」を聞いていた。しまいには新郎が先に泣き出す始末。ようやく知美も目頭を押さえたが、別に押さえる必要もさしてなかった様に思われる。きっとライトが眩しかったのだろう。

知美の超常性に目を奪われて、会場に元CHA-CHAのメンバーがいるかどうかさえも探すのを忘れてしまった。久しぶりにノブちゃんの顔でも見たかったのだが。知美はどうしてこんなに凄いのだろう。底が知れぬ。ただ、オタクの女の子が可愛く生まれついてしまっただけなら世の中に先例は多い。だが知美にはそれだけに留まらない何かがある。知美の好きな漫画は「セクシーコマンドー外伝・凄いよマサルさん」である。大好きなのでいつでも持ち歩いているらしい。すぐに読める様に、家中の全ての部屋にマサルさんが置いてあるらしい。知美の宝物はラムちゃんのセル画とディズニーのセル画やグッズだ。将来の夢は、これらの「セル画の部屋」や「グッズの部屋」「ぬいぐるみの部屋」を作ってくれる男性と結婚する事だとかつて語っていた。知美の新居にはその様な部屋が用意されるのだろうか。夫婦の寝室にはマサルさんが置かれるのだろうか。知美。なじょして君はこうなった。

知美は「天然ボケ」と言われる。最近はつまらないタレントの代名詞の様なものだが、知美の「天然」と言うのは、そんじょそこらの「天然」とはレベルが違う。
木っ端タレントの天然が、近所になっている天然の夏みかんだとしたら、知美の天然さはアマゾンの奥地で発見された前代未聞の夏みかんである。私は知美を内海光司の嫁になどと主張していた自分が恥ずかしい。知美の前には内海光司などはほんの小者。風の前の塵に等しい。その証拠に、彼の師匠の東山紀之が続く芸能情報で登場したが、全く大した小者ぶりだった。何でもブエノスアイレスの休演日(彼の誕生日)にホワイトシアターまでタンゴを習いに行ったそうだ。「彼は才能がある」ととりあえず誉める振付師。ベタに考えれば「ヒガシくんって勉強熱心」「彼ってやっぱりダンスの天才」「んもう光司君も連れて行ってくれればいいのに」というところであるが、実際問題として人の公演の休演日にカメラ引き連れてタンゴ習いに行く君は何なんだ。そんなに売れゆき悪いのかブエノスアイレス。

東山。タンゴ。誕生日。絶賛。カメラ連れてるのにラフなヘアとメイク。でも服はキマってる。18ピースのパズルよりわかりやすいこれらの記号に比べて、知美のはかり知れなさといったらどうだろう。知美。結婚式。さだまさし。秋桜。笑顔。マサルさん。…わからない。内海光司に対してでもこんなに切望した事はない。頼む。一時間でいいから知美と話をさせてくれ。知美。知美の底が知りたい。だがあるのだろうか。ワンダーランドのアリスの様に突き抜けてオーストラリアまで行くだけなのだろうか。逃げれば逃げる程知美に近づくのだろうか。だって地球は丸いんだもん。




○○にあてはまる言葉を述べよ(10/4)

パンフレットのネタバレになるので、まだ宝塚劇場に足を運ばれていない方はご注意願いたい。

初舞台の時「見るからに足が長い」と書いてくれたキャスト紹介。
「見るからに足が長い」…噛みしめると味わいのある日本語である。
何だか変な様な気もするが文法としては合っている。実に印象的なフレーズだ。何だかしみじみとした趣がある。
「○○○○○足が長い」五文字を使って内海光司の足の長さを表現しなさい、と言われたら私ならどうするだろう。しかし「見るからに」は思いつかない様な気がする。「年老いても足は長い」「髪も長いし足も長い」「デコは広い足は長い」「諸星よりは足が長い」…やめよう。人の身体的特徴についてなんてとやかく言うもんじゃない。

ちなみに今回の味わいフレーズは「スリムでなかなかの二枚目」。わざわざ写植の手間をかけて「なかなかの」の五文字を入れ込んでくれた東宝株式会社出版事業部に心から敬意を評したい。日本語を大事にするあなた方の仕事は将来の日本を担う若者達に正しく美しい母国語を伝える事であろう。そしてこれも「なかなかの」を他の言葉にあてはめてみると面白い。
「内海光司はスリムで○○○○の二枚目」…「それなりの二枚目」「そこそこの二枚目」「まあまあの二枚目」「モテモテの二枚目」「平均程度の二枚目」「ロリコンの二枚目」凄いな、スリムでロリコンか。やめよう。人の主義主張についてなんてとやかく言うもんじゃない。

文字数に関して言えば「St.月桂寺HighScoolでテレビ出演し…」などと、こんな古びたドラマのタイトルに長い文字数を使うくらいだったら「炎の奉行大岡越前」を「大岡越前」とだけ書くのはやめた方が良かったのではないか。「大岡越前に出演」では、今ごろ加藤剛も「えっ、知らないよこんな奴」と思っているに違いない。

パンフレットというのはジャニーズ事務所から提供される資料を元に作成されているに相違ない。一時、外部に対して提供される写真が「Poket Album」の個人ショットだった時は非常に辛く苦しかったものだが、今は「KYO TO KYO」のパンフレットらしい。このショットはまあまあなのでこのまま使い続けていって欲しいものだ。このまま「晶子曼陀羅」まで何も撮影しないで貰いたい。

いずれにせよ今回も内海光司は「初々しい」どまり。内海光司が過去、演技に対して評論された最高の賛辞が「好演」である。いつか「いい役者になってきた」と言われる日が来るだろうか。「味のある役者」もいい。それは今月の彼の活躍にもかかっている。頑張れ内海。なかなかの二枚目。(10/4)




ぼくのドンキホーテ・2(10/12)

人間の慣れというのは恐ろしい。私は純真な中学生の頃、アイドル雑誌を買うのがとても恥ずかしかった。
それがWink Up、POTATO、DUET、明星、週刊明星、ベストワンを毎月せっせと買わざるを得なくなり、恥もへったくれもあったものではない。野球大会の衣装欲しさのあまり、抽選券目当てに店の明星まとめて買い占めた事すらあった。挙げ句の果てには「小学五年生」を買う必要にも迫られた為、このあたりまで来るともうやけっぱちである。そんな時代を経て、内海光司が雑誌に載らなくなるとともに私はアイドル雑誌を買わなくなった。買わなくなると勝手なもので、今さらアイドル雑誌を買うのが恥ずかしくなる。と、言う事で、ちょっと照れながら購入したPOTATOであった。

勿論「KYO TO KYO」のレポート目当てであるが、何だか内海系ホームページのレポートを全てつぎはぎにした様な内容で、最近のライターって楽してるかも知れないと一瞬思った。本人の談話が載っているのがプロ根性の見せどころか。相変わらず「(ジュニアに対して)舞台もいいけど、番組にも帰ってこい」などと、十月が終わったら自分のレギュラー番組があるかどうかも妖しいくせにぬけぬけと言っているのはいつもの事であるから放っておくとして「千年メドレーはジュニア時代にヒガシくんのバックで踊ったんだけど、ヒガシくんは全然覚えていてくれてない」などと馬鹿な事を言っているのはどうした事だろう。

何だか都合良く記憶を改竄している様だが、内海光司がジュニアだった様な大昔から千年メドレーが存在するわけがない。そもそも初お披露目が90年のPLAYZONEなのだ。あの頃に君がジュニアだったとすれば、大沢樹生もジュニアだったという事だろうか。それが本当ならば佐野瑞樹の最長寿ジュニア記録をも塗り替える歴史的発見であるが、勿論そんな事はない。

これに対して東山は「内海はカラオケでガッチャマンを歌ってるイメージしかない」と答えており、それもちょっと気の毒ではあるがまず妥当である。ここでいきなり「ああ覚えてるよ。あの時はよく頑張ってくれたな」などと答えてしまってはもう二人とも完全なアルツである。ジャニーズ事務所は早急に引退後のタレント用のホームの建築を急ぐ必要があるだろう。

最近内海光司の話題にとみに出てくる東山紀之。しかし、考察するに、別に彼らがことここに至っていきなり親密になったわけではなくて、赤坂晃証言するところの「ヒガシくんに誘われてカラオケに行った。内海君もいた」、ポポロの「コンパ大好き。よくヒガシくんに殴られる」、POTATOの「ガッチャマンを歌う内海光司」これらが全て同じ一晩の出来事であり、それを内海光司がさも何度もノリと呑みに行った様なふりをしていると言う事も考えられる。たった一度誘ってくれたカラオケを、何度も記憶の中で反芻しているうちに、現実の記憶(光GENJI時代の少年隊バック)さえもが脳の中で混濁してしまったのだろうか。内海、しっかりしろ。そうだ確か君は去年の夏にも一度、川合と東山とカラオケに行った(内海談「バリカラでチョモロハ」)だった筈だ。ならば一年に一度はカラオケに誘って貰える筈だ。だからそんなに思い詰めるんじゃない。夏の夜にたった一度カラオケに行っただけで親友気分になるのでは、コンサートで目が合っただけで恋人気分の誇大妄想のファンと同じではないか。

更に推理をすすめて、これらの証言が別の機会だったとしよう。内海は晃とノリとカラオケに行ってアニメタルを歌い、また別の機会にノリとカラオケに行ってガッチャマンを歌い、そしてまた別の機会のコンパで度々ノリに殴られているとしよう。すると、内海光司はどこに行ってもアニソンを歌っているという事になる。それではまるで、忘年会になると必ず「課長のこれがないと始まりませんよ」とノセられて「よーし任せろ」とどじょう掬いを始める課長の如きである。ただの宴会屋。東山が「オネスティ」を歌う為の前座としていつも呼ばれ、バカッ声でガッチャマンを披露しては女の子達に「内海君って面白いけど、つきあうにはちょっとね」「それに比べてヒガシくんってやっぱりカッコイイわね」と言われるだけの引き立て役。それが、東山が内海を呼びつける理由なんではないのか。そうとも知らずにのこのこやって来てはアニソンを歌って笑いをとり、そして二人ずつ消えていった酒宴の席に残されて「気がつくとみんないなくなってるけどそれもまた楽しい」と、一人酔っ払っている道化者。それが内海光司なんではないのか。悲しみと孤独が君の記憶をねじ曲げたのか。ひどい。ひどすぎる。なんて可哀想なんだ内海。

あと最後の可能性としては、体力の化け物・東山紀之が手荒に何度も殴りつけた為に彼の頭がいよいよ故障して記憶回路がショートした場合も考えられる。どれが真実だったにせよ、内海光司自身はそれで幸福なのだから別に構わないのだろうか。あまり現実を歪める事なく、彼には彼の思いを育てていって貰いたい。



ニブル山にて(10/16)

「FF・ INTERNATIONAL」をやっている。
と、言えば聞こえはいいが、実は今さらFF・(ギリシャ数字文字化けしていそうですな)をやろうと思って買って、妙に高いな、さすが人気ソフトは値割れしないなと思ったらインターナショナルバージョンだっただけの事である。RPGの苦手な私のこと、どうせすぐ放り出すだろうと家族も自分も思っていたが、綺麗なグラフィックと一本道のストーリーに支えられて何とか続いている。今は中盤ちょっと手前くらいだろうか。クラウドレベル30である。

キャラクターの名前を変えられると聞いて以来、私はずっと内海はカッコイイ脇役にしよう、そしてめちゃくちゃ育てて強くしよう、と意気込んでいた。と、いうわけで主人公は内海を避けて「こういち」にしてみた。ふむ。まあ冷めているところが似ていない事もない。女の子達はジャニーズの名前をつけるのも気持ち悪いし、自分の名前をつけるのも更に気持ち悪いので「キティ」「ミフィー」「ララ」にしてみた。キティがティファで、ミフィーがエアリスであるので、プレート支柱の時などは「キティー!」「ミフィー!!」といたわりあい、心配しあい、叫びあう…二頭身を想像すると可愛くて大変微笑ましかった。ヘリの上のミフィーに伸ばすキティの短い手。叫ぶミフィーのばってんの口。うん、可愛い。

で、ちょっとここは全国一千万人の坂本昌行親衛隊・青果振興会の皆様には申し上げにくい事ながら、バレットは「さかもと」である。
「こういち」とのからみから考えると智也あたりにしても良かったのだろうが、ともかく見た瞬間に「ゴリだからお前は坂本だ」と一言で決めてしまった。ちなみにレッドは「いのっち」でケットシーは「じょうしま」である。ここらへんは適当に決めた。

さて、もうそろそろじゃあなさんの悪だくみが露呈する頃で、そう、じゃあなさんは最初からヴィンセントこそ内海にしようと決めていたのである(ヴィンセントファン一斉ブーイング)首尾良くヴィンセントを仲間にして、キノッピーと命名。一番上等な装備をあげて、貴重なマテリアを女の子達からはぎ取り、いざ出陣。おっとその前に、こういちに「かばう」のマテリアをつけておこう。これでキノッピーがピンチになると光ちゃんが飛び出してきて守ってくれるぞ。なんて美しい先輩後輩愛なんだ。わっはっは。うきうきするじゃあなさんの音頭で一堂は更なる旅に出た。


 
ミフィー「なんだか、急に出番、少なくなったみたい」
 キティ「今までは私達がスタメンだったのにね」
 いのっち「でもさ、内海君は銃持ってるんだから、後列にいればいいのに」
 さかもと「それほど光一に庇わせたいんだな。バカだな、じゃあなさんは。見ろよ、こういちはダメージでボロボロじゃないか」
 ララ「リミットがたまりやすくていいんじゃないの」
 じょうしま「おい見ろ! あそこにドラゴンが!」
 ララ「こうなったらお手並み拝見よ。あいつのリミット技ってどの程度なの」
 ミフィー「変身したわ!」
 キティ「凄い…これがキノッピーのリミット技!」
 いのっち「バーサーカー状態になって戦うのか…こちらのコマンドは受け付けないが、凄い破壊力だ!」
 さかもと「バカだなじゃあなさんは。えこ贔屓して『しょうかん』のマテリアも持たせてたけど、こっちのコマンドうけつけないんだから、これじゃ誰も呼べないじゃないか」
 ミフィー「『ぜんたいか』のケアルラも持ってるけど、全く意味ないね」
 ララ「それにしても『バーサクダンス』って、ぴったり」
 じょうしま「あーっ! 内海君、そらあかん! ドラゴンにメガフレアかけたら、回復してまうがな!」
 ララ「どうすんのよ! いくらダメージ与えても全部あいつが回復させちゃうじゃないの!」
 ミフィー「なに、調子に乗ってんの! ああ駄目だ、コマンドを受け付けないんだったわ、やめさせられない!」
 キティ「もうこうなったら、先にあいつを倒すしかないわ!」
 いのっち「仕方ない! 内海君にはしばらく死んでもらうしか…内海君、すんません!!」
 さかもと「よし行くぞ! 総攻撃だ! せーの…」
 こういち「…やめろーっ、みんなー!!(かばう)」
 ボカッ、ドカッ、バキバキッ、ダダダダダダ…ピシャーン!
 全員「うわああああ、こういち!!」
 こういち「………(HP0。戦闘不能。死亡)」
 さかもと「誰だよあの人パーティーに入れた奴!!」

 キノッピーは新しい仲間達にまだ馴染めない様です…。



僕らの勇気(10/19)

「僕らの勇気 未満都市」。
…D×Dのキャストに選ばれなかった瞬間から、次のドラマには儚い期待を持って生きてきた。日テレ土曜九時のあの枠に、ジャニーズがドル箱タレントを貸し出す抱き合わせとして内海光司をくっつけてくれる可能性に賭けていたからである。ジュニア番組の司会もした。森光子のディナーショーでMCもした。これだけ事務所に忠実に生きているのだから、華やかなご褒美の一つくらいくれても良さそうなものである。

「D×D」の後番組はKinkiのドラマ。よーしよーし。ジュニアも多数出演。そーかそーか。次々と届く前評判に、にこやかに頷いていたが、制作発表の「大人のいない十代だけの街」という設定を聞いて絶望した。どこをどうひっくりかえしても内海光司が十代に見えるわけがない。じゃあなさんは世界中の全てを呪ってしばし自分一人の殻の中で膝を抱えた。

サバイバルだと言うし「未満都市」という野島的な言葉の使い方も何だか不穏だ。じゃあなさんはドロドロしたドラマを見ない。けっ、やっぱり今回は見るのをやめたやめた。映画の金田一でも見に行こう…そうして膝を抱えていたじゃあなさんだったが、「未満都市」に「僕らの勇気」がついた瞬間、のそのそと孤独の核シェルターから這い出てきてテレビの前に座る事になった。

「未満都市」だけだと、何となくEVA的な破滅した雰囲気が感じられるが「僕らの勇気」がついた瞬間に街のCDショップからロックとポップスがなくなる様な感じするではないか。いっその事「僕らの勇気・未満都市〜新北斗七星伝説2〜」としてくれたらもっとくだらなくていい。やおら、サングラスの大沢樹生が「変わらねえな、この街も」とニヒルに呟いてみたり、教会で内海光司が「父さん、もういいよ」と言い出しそうな気がして、わくわく見てしまった。勿論そんな話ではちっともなかったが。でも当局の制圧の仕方は妙に似ていて嬉しくなってしまったが。

全編オールロケという事で、こういう事するからグラビアに登場する剛の瞳孔が開きっ放しになってしまうんだと、スタミナのない彼にひとしきり嘆いたものであるが、命を削って作っただけあってドラマの方は割りといい出来だ。剛は殆ど夕鶴状態である。エキストラも300人というし、とても「雪夜叉伝説殺人事件」で氷の橋をスタジオの中に作った日テレ土曜九時のドラマとは思えない豪華さ。Kinkiも今が一番綺麗な時期であるから、見ているだけでも結構楽しい。作り手もそれを意識しているのか、二人の立ち位置がいちいちやけにキマっているのにはちょっと笑ってしまったが。

それにしても、隕石に付着した微生物にそれほどの殺傷能力があるのなら、私なら落下現場を放置せずに全部焼き払うが政府はそこのところをどう考えているのだろう。子供達を隔離するよりも何よりも、まずあのへん一帯を全部火の海にするのが先決ではないだろうか。大体空気中では生きていられない微生物がどうやって伝染したのだろう。私はまず飲料水にまぎれこんだのかと思ったが、今は水道は止められているという。ではどうして光ちゃんと剛にも感染したと言いきれるのだろう。不思議だ。光ちゃんの場合は小原の渡した水を飲んだからだろうか。それはひどいぞ小原。本当に変わっちまったんだな。

HIVウイルスも空気中ではいくらも生きられない。だから粘膜感染するのだ。隕石が落下したのを調査に行った大人が感染して、それが粘膜感染によって伝染していったとしても、どこかでどうしても禁断の愛が入らないと大人全員が死亡に至らないと思うのだがどうだろう。乱れているぞ幕原。あっ、最初に男女同時に感染していればいいのか。それでも高齢者も死亡しているのはどういう事だ幕原。おじーちゃんおばーちゃんも元気だな幕原。ソドムの街。それとも「空気中でも生きられる」と言ったのを私が聞き間違えてここまで勘違いしているのだろうか。しかし空気中でも生きられるんだったら、あんなゲートで幕原を隔離したところで、日本はとっくに手遅れという気がするが。だから火の海にしなくちゃ駄目だってば。自衛隊は今すぐ幕原にナバーム弾を打ち込むべきである。

第一話を見た時点で言うのも性急ながら、いずれはその微生物に対抗するワクチンが開発される事になるのだろう。最終話あたりでは、誰かが発病してワクチンが届くの届かないのという展開になるに違いない。さあ、発病するのは誰だ。私の読みでは1位・剛、2位・宝生舞、3位・小原。こんな事言って光ちゃんだったら悔しいがな。決して奇跡は起こるまいが、それでも、そのワクチンを開発する研究者が内海光司だったらという一縷の望みを捨てきれないでいる私は、とりあえず来週も見るだろう。(10/19)




流浪の民(10/22)

あんた劇場違うやんけと言われても仕方ないが、昨日『クレオパトラ』を観に行って きた。
先日友人と電話していて「へー観に行くんだ」と意外そうに言われたので「あたし晃の舞台は大体押さえてるのよ!」と鼻息荒く威張ったものの、よくよく考えれば魔女宅と火の鳥を見ただけであった。
地方に行かないのでこういうラインナップになるわけだが、押さえているどころかだだ漏れである。偉そうに胸を張れる立場ではない。

感想としては、押し殺した声の軍服のオールバックは誰かに似ている、と思ったらそれはデスラー総統でした。あのまま顔を青く塗ればまず完璧である。物凄く冷酷でカッコイイ悪役という前評判だったのでわくわくしながら観に行ったのだが、どうも…クレ オパトラというのは、あれは共感しにくい人であるな…。私にはどうしてもオクタヴィアヌスのする事の方がいちいち正しく思えたので、確かにカッコイイクールガイであっ たが、悪役という点ではあてが外れた。オクタヴィアヌス・シーザーは私の目には良識人であった。

カーテンコールで晃と平幹二朗が並んで客席に背を向け、マントを翻したところで 「図書室のカーテン」(晃)「講堂のカーテン」(平)と呟いてくすくす笑ってしまった。どうでもいいが日生劇場の椅子は悪い。一幕を見終わっただけで足がしびれる。少年隊が「MASK」をやった楽日にちょっとライブをしたら音がガンガンに割れていて「日生 のスピーカーはこれに耐えられなかったか」と思った事があったが、椅子といいスピー カーといい、日生! 宝塚劇場じゃなくてお前が建て直せ!! と思ってしまった。よく考えれば、劇場に入るのにS席でも階段を昇らなくちゃいけないし、トイレの数も少ない。今風のおしゃれな芝居がかかるので、憧れの劇場ではあるが、日生劇場の建築構造そのものには疑問が多い。

晃ファンや錦織ファンら「ニッセイラー」には「何を、内海ファンのごときヅカリストが」と思われる事だろう。大人しくお行儀良くしていなくては。何せヅカリストはこ れから流浪する運命。首尾よく内海光司が帝劇に終いの棲み家を見つけるとは限らない。ニッセイラーに頭を下げ、テイゲキストにもみ手をし、最後の最後には日比谷一デ ィープなゲイジュツザリアンに教えを乞わなくてならない日が来るかも知れない。古巣を失うというのはそういう事だ。

あっ、これがローマに侵略されかけたエジプト人の気 持ちって奴だな。



僕らの勇気(10/25)

連載する気なのか、うっかり見忘れたらそこで終わるのか。「未満都市」第二話感想。
本人たちに言わせれば「性格設定はまるで逆」という光ちゃんのヤマトは、成程いい人だ。靴も無く、裸足で歩いている少年の為に、靴を手に入れようと奔走してくれるわけだが、どうして一つの街に靴の一つもないのだろうか。大人はみんな靴を呑んで死んだとでも言うのか。おばあちゃんのツッカケだって裸足よりはよっぽどマシな筈である。大体、大人の遺品をアテにしなくとも、就学している児童ならば上履き、体育館履き、校庭履きなど、最低でも一人につき二足の靴は持っている筈だ。現在生き残っている子供達が、2,000人だとしたら、4,000足の靴が幕原内に存在する筈である。それをどうしていちいち穴沢に頭を下げなくてはいけないのだろうか。

対策本部長(柴崎というらしい。私の心の設定によるとこの人が内海博士の上司という事になる)によれば食料は充実しているという。なのにどうして子供達はみんな、食料食料と目の色を変えるのだろう。貴重な水はまだわかるが、あんなグレープフルーツを奪いあっても仕方あるまい。保存出来るものでもないし。

もはや考えられる可能性はただ一つ。微生物に感染すると、脳がちょっとあぱらぱーになるのだ。その証拠にユーリは女なのに男だと言い張っている。男ならばその駆け引きメイクはどうした事か。みんなやけに怒りっぽいのも、保存できない食べ物を必要以上に収拾しようとするのも、空き家の押入れを探せば御歳暮と御中元で山ほど存在する筈の石鹸に目の色変えるのも、みんなその為なんである。

しかしこの殺伐とした幕原市の中で、モリの落ち着きはどうした事だろうか。皆が自分以外は敵だと殺気だっている中で、彼一人、犬を飼うほどの余裕ぶりである。メシアじゃないのかこいつは。最後はメガンテ一発で街ごと救ってくれるんじゃないのか。疑いの眼差しを持って見ると、お姉ちゃんと再会した時の聞き分けの良さもただ事ではない。メシアならではの度量の広さを感じる。最終回までには羽もはえるぞ。すごいぞ松本。

ところで柴崎本部長。マスクまで外したモリの姉を、そのまま通常の生活に戻すというなら、これはもう大したお人好しである。彼もすでにあぱらぱーウイルスに感染していると見て間違いはない。こうなったら、内海光司の出番は、ツメの弱い柴崎の死亡後、冷酷無比な新本部長として就任するというのはどうだろうか。「貴重な臨床例だ…死なせてはならぬ!馬を引け!!」…いや、馬でなくてもいいんだけど。

 

役者魂(10/26)

内海光司の、演技について、どうこう言う気は、ない。
何となく句読点が多いのは、ぶつぶつ言っているんだと思って欲しい。そういうつもりは、ないのだ。何をさておいても、相手はプロである。謙虚に謙虚に。ぶつぶつ。

大体内海光司というのは、実は結構面倒臭い役をやっている。平凡な演技というのは、実は一番難しいと思うからだ。アイドルのドラマを見るにつけ思うに、みんな一様に笑う(爆笑ではなく、にっこり)のと怒るのは巧い。怒る演技というのは一番派手で簡単だが、実は内海光司にはあまり激昂するシーンというのが回って来ない。「違う違う違うんだよ!」「お前さん達何考えてるんだ!」と喚く事はあっても、壁を蹴り飛ばして地面を転がり回る様なシーンというのはかつてない。何となく呑気な役が多いのだ。

何となく呑気な役、というのは結構やりにくいだろうと思う。怒って「わかったよ母さん」と言うよりも、泣きながら「わかったよ母さん」というよりも、ただ「わかったよ母さん」と返事をする方が難しい。これは実際にやってみるとわかる。「ただ喋る」のが一番難しいのだ。

だから内海光司がよく演じるタイプの好青年が、簡単だとは言わないけれど、見栄えがしないのも確かだ。怒鳴り散らして泣き喚いて大笑いして躍り上がっている(躁鬱症か?)方が、役柄としても印象的だし、何より演技が巧い様に見える。そういう意味ではホームドラマにばかり出ている内海光司は損をしている。

かつて内海光司が一番「芝居らしい芝居」をしていたのは、多分彼の出演作品の中でもマイナーな「まゆみ」であろう。実は私はこのドラマが一番好きだ。ストーリーも好きだったが、何より内海光司の声だけの演技がいい。「あなたは誰ですか」なんて本当にぞくっとするではないか。私は「まゆみ」以上に心理描写でオイシイ役はまだ貰っていないと思う。

感情表現以上に損をしていると思うのは、身体を動かすチャンスもない事である。半ば肉体労働者であるから、そこらの役者よりはよっぽど運動神経がいいだろうと思うのだが、彼はギャロップ以上にスピードを上げる事がない。ファンでも殆ど記憶に残らない「熊野路伝説殺人事件」のサブちゃんであるが、私はこのドラマは「内海光司が全速力で走っていた」というただ一点だけで高く評価している。菊太郎もばたばたしていたが、あれは着物だったので躍動感にはやや乏しい。内海光司が一人でドラマに出る様になって、一番活発に動いたのが熊野路のサブちゃんなのである。次のお仕事も舞台であるから望み薄であるが、彼にはもう少しアクションのある役をあげて欲しい。城島、そろそろはぐれ刑事を譲ってくれてはどうだ。「恋風」返すから(いらんわ)

思えば「これから物語」をやった時に榎戸監督は「内海は繊細な演技がいい。大沢はアクションスターになれる才能がある」と言っていた。どちらも今のところ、監督の見いだした才能を生かすチャンスがない道を歩んでいる様だ。このままホームドラマの好青年を歩み続けるのも、それはそれでまあいいが、もう少し感情の起伏が激しく動作の大きい役が回って来ないだろうか。それって江戸の町火消しか。



18歳だった(10/30)

本日千秋楽を迎えた「菊がさね」。
宝塚劇場一般公演のフィナーレ。
キャスト全員、声の枯れていた人も、動きに疲れの出ていた人もいたが、それでも全公演中最高のものを見せてくれたと思う。内海光司に関しても初日で見た頼りなさもなく、生き生きと泳いでいてくれた。舞台の上の空気が重いことというのはよくある。一人でそれを引っ張ろうとしても無駄な事で、あがけばあがく程空回りする事になる。舞台は絶対に一人では出来ない。同じ板の上に乗っている人を信じない限り、舞台はどんどん重くなる。今日はみんな本当に泳ぎやすそうだった。ほんの端役でいいから私もあのカンパニーの中に入りたかったな、と羨ましかった公演だった。内海光司はとても楽しそうに見えた。

利恵治と初めて出会う園遊会のシーンから、浜先生に手を叩かれたり前髪を触られたりと仲睦まじくてイイ感じ。お葉さんとの別れのシーンではヒートアップする川中さんに引き込まれて内海もかつてない熱演を見せてくれた。真摯な瞳といい、力のこもった手といい、年齢に相応しくちょっと男の器が大きくなった様子である。

カーテンコールでは浜先生をはじめキャストは感無量。相変わらず嬉しそうに月丘夢路と微笑みあっている内海光司はさておき、にこやかに手ぬぐいを投げ終わった後の浜先生の瞳に涙が光る。もういなくなってしまった人もいる、宝塚時代の仲間と一緒に大階段を降りてきた日の事が思い出される、という言葉に杜さんも思わず涙。でも何でか川中美幸も泣いている。キミ、宝塚か。

内海光司はというと、鼻の穴をふくらませて三階席ばかり見ている。「またうつむくわけにはいかなくなってる…」と思ったが、結構涼しい顔をしていた。女性陣が目頭を押さえる中で余裕の笑みを浮かべている内海光司というのはなかなか頼もしくていい。私は楽日には彼が泣くのではないかとやじ馬的に期待していたが、よく考えれば彼は初舞台の時のアイドルの男の子ではなくなっていた。いっぱしの29歳の男である。バカにしているうちに、内海もカッコ良くなっていたんだなと思い知らされた一コマであった。

フラッシュがあんまり多くたかれるので「もしや取材が?!」と期待して振り返ると、一階席の後ろには沢山の人が立ってステージを見ていた。スタッフや、関係者である。舞台の上と、舞台の下と「ああ、これが宝塚劇場だ」と思った。浜先生やキャストが愛してきた、内海光司が初舞台を踏んだ、私達が沢山の思い出を作った宝塚劇場がここにあるんだ、と思った。私は漠然と宝塚劇場が好きだった。劇場の空気も、椅子の感じも、売店の抹茶アイスも、白雪の奈良漬も、ラーメン屋さんのおばちゃんも、山ごぼうのおにぎりも、トイレも、2階席も、3階席も、全部あわせて、私は宝塚劇場が好きだった。舞台の上のキャストと、後ろで立って拍手を贈っていたスタッフに、私は漠然と自分が好きだった宝塚劇場が本当はどんな姿をしていたのかわかった気がした。

内海光司がこの舞台に出られて本当に良かった。こういう形で宝塚劇場に御別れが出来て良かった。本当に「楽しい思い出を沢山、ありがとう」。利恵治が太夫に、喜七郎がお葉に、印象的に何度か出て来たこの台詞を、大好きな老劇場に捧げたい。

初めて行ったのは高校生の時。1F真ん中よりちょっと後ろ。舞台向かって右。あの時座った席を今でも覚えている。


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