あけまして天一坊(1/3)
あけましてスタッフロールに名前が一番。あ、 済みませんつい本題から入ってしまいました。まずはあけましておめでとうございます。本年もどうぞ御贔屓に。で、スタッフロールに名前が一番。私の悲願を早々に叶えてくれるとは。やるねテレ東。今年はラブジュニと鑑定団以外も何か見る様にするよ。
えードラマ全体については、 六部以外あんまり真面目に見てないんでよくわからんのですが、時代劇好きなんで私は楽しかったです。しかしあの海はどこなんでしょうねえ。今のお台場あたりだとしても、江戸城からお台場まで死に装束で走ってきたんでしょうか忠相は。よくわからない。大体数馬、あの樽を容易に担ぎ上げるとは力強すぎるぞ。だからあんなに無類に強いのだな。数馬しか殆ど立ち回りをしなかったからなあ…。
男同士の友情モノにはご多分に漏れず弱いので、忠相、吉宗、数馬の三人は好きでしたが、 あの、数馬に影膳をおくところで終わって欲しかった気もする。 晩年の由依があまりにも怖すぎた(そしてセットが…)あれは今年の上半期一怖い。
「数馬はどこへ行ったんだろう…」と言って、 若いままの数馬が青年時代の象徴として現れて越前を連れていく、 というオチかと思ったけど、 よく考えたらそれは大河ドラマの「吉宗」で使った手であったか。
ところで、私は最初から見ていなかったので詳しくないんですが、 あの少年時代の忠相か数馬のどっちかがティガの子であろうから、 今ごろ最後の最後に一瞬出たと知って内海ファンに泣きついたりしているんでしょうね…。
さて、枕はこのへんにして天一坊である。放映前は「内海のヅラ? なんだか顔と大きさがあってなくて、観光地の穴のあいた看板に頭挿してる人みたいだった」などとひどい事を言い「おかっぱだよおかっぱ。バンコランみたいな奴だって」などともっとひどい事も言っていたが、いざ見るとカッコイイ様な気がするから不思議だ。人物設定も久しぶりにちゃんとした役らしい役で(去年は矢沢くんと言い花屋の数馬くんと言い、没個性の好青年役ばかりだったから)おおお〜ちゃんとした役だよ〜御芝居してるよ〜とそれだけで感涙。今年一年この調子でいけますように。
ジョイコンで「昔の山伏だからもっと汚い」なんて言ってたら終始一貫キンキンキラキラのバカ殿ルックだし、「最初悪い人だったんだけど改心していい人になる」なんて言ってたら終始一貫いい人だし、何だか思ってたのと全然違いましたが、まあこの方が良かったので良かった。しかし、あのキラキラの着物といい、ピンクのアイシャドウの入り方といい、どう見ても吉宗より宗春に似ているのだが…。家族全員で「どう見てもナガレの子だよ!」と言っていた。忠相がトロイの木馬をやるくらいだから、そのくらいのどんでん返しがあるのかと思ってしまった。似てたよな、ツリ目具合といい。
元日の「竜馬がゆく」がとても良かったので「ああ内海も今年こそはこのくらいのものをやってくれます様に」と思っていたが、素材的には、いいお仕事さえ回ってくれば、いいものを見せてくれそうな期待が持てる天一坊でした。今年も一年、飛ばしていきましょう!
菊と刀(1/6)
オフィスユーザーの方も今週から仕事はじめなんではなかろうか。改めまして、あけましておめでとうございます。本年もどうぞ御贔屓に。
さて、まだ全部見終わっていないのだが、テレ朝の時代劇スター大集合なる番組。私の見る限り、内海光司は如何なる理由からこの番組に出演し得たのかよくわからなかった。「今年中、どこかでテレ朝の時代劇に出演する予定があるから」というのがキノッピー掲示板での希望的解釈だったのだが、詳細はわからずじまいであった(ろうと思う)。一番不安なのが、内海光司以上に時代劇に縁のなさそうな森脇健児も出演していた事で、あの女子高生クイズに使われたおまけとして、たまたま二人共本編にも登場したのではないだろうかと思われてならないのだ。更に不安なのだが、あの女子高生クイズ、放送前のテレビ雑誌にはキャイーンがやる予定だと書いてあった事である。まさかキャイーンの代役に曇り空兄弟が急遽呼ばれただけなのでは…光司はウドか…。
ともあれその女子高生クイズ。同心役なのだから当たり前なのだが、小銀杏に黒の巻羽織姿で、懐かしの楠菊太郎復活という趣である。口を開けば「靴下あげろ!」「俺達、まわし屋!」などと必要以上に内海光司らしい内海光司で、夢もへったくれもあったものではないが。あああの頃は初々しかったのに。都会の水が君を変えたのか菊太郎。
ずいぶん長い事、楠菊太郎というのは、内海光司が演じた中での私のナンバーワンだった。 キャラクターが、というよりは、遠山の金さんという番組の持つステイタスがその後押しをしていた。何せ内海光司の一番最初の単独出演作品『花燃える日日』の視聴率は、その時同時に放映していたテレビドラマ中最低であった。私は何度敦啓ファンの友人を慰めるのに「内海だって最初のドラマはひどかったんだから」と言ったか知れない(そしたら「内海君は脇役だったから責任がなくていいじゃない」という、両刃の剣みたいな返答をされた。痛い)それが、遠山の金さんは視聴率二ケタは当たり前。関西ではビデオリサーチのベスト3に入る事も珍しくない。さすが国民的番組「遠山の金さん」! 素晴らしい!! たとえ内海光司の出番が週平均二分五十秒でも、私は我が事の様に誇らしかったものである。
「内海光司ってどの子?」と聞かれても「光の大沢じゃない方」だとか「よく見るとね、二人だけ衣装が違う子がいるから。そのうちの地味な方」などと悲しい答え方をしなくてもいい。その人が見ていようがいまいが「遠山の金さんに出てる子」と答えられるこの晴れがましさ。
楠菊太郎は、最初に登場したシリーズでは、ビデオが一本埋まらなかった。なにせ一話の出番が二分五十秒であったから。次のシリーズでようやく120分テープが埋まったものの、三分未満の出演カットを集めた私のその編集テープは「サブリミナル楠菊太郎」と呼ばれて、後年長く友人達に恐れられた。それを平気で見られる者こそ真の内海ファンの称号が得られたという、踏み絵の様なテープであった。何せ延々と楠菊太郎。それも桜湯の二階でぶつぶつ言っているか、河原で死体を見ながらぶつぶつ言っているか、縁側で死体を見ながらぶつぶつ言っているのかのおよそ三通りしかないのである。たった一度だけ、菊太郎が主役扱いになれた時は、感涙にむせんだものである。菊太郎、よくぞ、よくぞここまで。
久しぶりにテレビの前に現れた偽菊太郎を見ながら、私はあの二分五十秒の日々を思い出していた。あの頃は家族に「カップラーメンも作れない」「ウルトラマンでも全部見て帰れる」と馬鹿にされたものである。それがどうだ。昨日は二時間にわたって大活躍。トークだって、毎回毎回健ちゃんに綱渡りをさせていたあの頃とは違って、今では事務所の提灯番組を一手に引き受ける司会頭(ただし、後に続く者はいない。先を歩く者もおりも政夫と薬丸裕英しかいない)である。もう、群衆の中に内海光司を探して動態視力を鍛える事もない。歌番組で樹生と和己の隙間から見える内海に目を凝らす必要もない。「ガラスの十代」の最後、フレームアウトした彼を見ようとあがいてテレビを斜めからのぞき込んでみる必要もない。
そうか、あの日からここまで来ていたか。そう思うと感慨深い。何より感慨深いのは、如何に前日夜更かしをしていたとは言え「まだ見たことのない内海」が目の前で放映されているのに、私がホットカーペットの上でぐーぐー昼寝(という時間でもなかったが)出来たという事実である。だから番組を全部見ていないと再三申し上げているのだ。初心、忘るるべからず。新年にこの言葉を我が身とともに内海光司にも捧げよう。またサブリミナルテープを作らないで済む様に。
涅槃で待つ(1/8)
私はパンダが好きだ。動物の中では一番好きである。かわいい。もし体長15センチくらいの、ミニパンダがいたら絶対飼うのに。ああ、想像したらかわいい。パンダ。
しかしパンダは如何に可愛くても熊である。人を食べる事もあると言う。でもパンダに食べられるならちょっと幸福かも知れない。そう言ったらペンギンが一番好きだという友人は信じられないものを見る様な目で私を見た。「だって死ぬ瞬間『くそっ、パンダにやられちまったぜ、何てこった』と思いつつ『あっでも目のまわりかわいい…』と思いながら死ねたら幸福じゃない?」と言ってもわからなさそうな顔をしているので、「あんただってあっくんが(注・彼女は敦啓ファン)いきなり走ってきてぶすっとナイフで刺してきたら『何すんのよ!!』と思ってもあっくんの顔がニヒルで素敵だったら『あっ、でも今日のあっくんイケてる…』と思いながら死ぬでしょ?」と言ったら何となく納得していた様だ。
自分で考えてみても、内海光司にいきなり刺し殺された場合、彼がイケていれば「あっ、でも光司すてき…」と思いながら死ねていいが、イケていない場合「なんだよあのデコのしわ三本…Q太郎じゃねーんだぞ畜生…」などと思って悔しくて成仏も出来ないだろう。内海光司も私を刺す時は是非、ドレスアップしてヘアも整えてから準備万端で来て頂きたいものだ。服は「この秋…ひとりじゃない」の衣装だととても嬉しい。
物騒な話題が続いて恐縮だが、死ぬと言えば、難病の子供たちの夢を叶えてあげる慈善団体があるとこの間テレビでやっていた。世界中の難病の子供達の夢を叶えてあげて、生への希望を持たせてあげるボランティアだという。海外では「死ぬ前にローマ法王に謁見したい」という子の夢を叶えたり、日本ではXのメンバーに会わせてあげたり(何故かXはこういう話が多い様な気がする)していた。「美衣ならどうする?内海くんに会わせて貰う?」と聞かれたので、私は本を出版して貰う事にした。自分の闘病記を感動的に綴るわけである。勿論主人公は23歳の女性ではない。29(もう9にしておこう)29歳の青年という設定にしておく。映像化のあかつきには是非キャストを内海光司にして貰う。感動だぜ。「難病少女(少女かい)の夢!アイドルに託した生きる希望!!感動ヒューマンドキュメンタリードラマ『いつかの青い空』今夜9時より一挙放送!主演・内海光司…」となるわけである。無論、その慈善団体に夢を叶えて貰った子供たちが死ななければならないという法はない。で、あるから私は印税を頂いた後、見事完治する所存である。ローマ法王に会った男の子なぞ、なんと会っただけで脳腫瘍が治って元気になってしまったのだという。ホントか。しかし私とて内海光司が長時間ドラマの主役になるという時に、死んでなどいられるわけがない。何としても蘇ってみせよう。
そう言えば私が高校の修学旅行で九州に行った時が、雲仙の普賢岳の一番最初の噴火だった。地震に慌てふためきながら「いや!私は内海光司の主演舞台を見るまでは死なない!」と豪語したら、友人達から「それじゃあんた不死身だよ」と恐れられた。そのせいかどうか、とりあえず無事で、今ここにこうしている次第である。
誕生日の方程式(1/10)
私には年に二回誕生日がある。そのうちの一つが明日だ。何週間も前から誕生日だ誕生日だと思い続け、カレンダーを意識し、日付が1月11日になった瞬間「お誕生日おめでとう」のFAXが届く。ちょっと高めのレストランに行ってお祝いをしたり、切符を記念にとっておいてみたり。しかし別に私の誕生日なわけではない。なのに「誕生日だ」と意識するあまり、しまいにはどうしてみんなプレゼントをくれないのだろうと不思議に思う。恐ろしい。こういう人がジョン・レノンを殺したに違いない。
そんなわけで、今年も内海光司はまた一つ年をとる。「ジジイになるのが嫌なのは、他のメンバーと年の差がついちゃうからよ。ソロになったらそんな事どうでもいいの」などと強がりを言えたのは去年の誕生日だけ。29歳という年齢の重みが、ラブジュニにおける彼の浮き上がり度に拍車を駆ける事だろう。重いのに浮くとは。恐ろしい法則もあったものだ。
内海光司が年をとるにあたって一番動揺したのは二十五から六になる時だった様に思う。その後は「人間は年をとるものだ」と悟りを開いた。おそらく次は三十二から三が関所になるであろうが、まあ今から心配する事もないだろう。
それよりも、私が期待しているのは、内海光司は奇数の年齢の時の方がいいお仕事をするという事である。23歳の時が「スーパーギャング」「桜っ子クラブ」「引っ越し大名」「遠山の金さん4シリーズ目」と、内海光司が一番バブリーに仕事をしていた年である。25歳はコンスタントにレギュラーをこなしたのと「PARTY HIKARU」だけだが(だけったって、それで十分だが)、27歳は第二のバブル「二人でお茶を」「女の言い分」二ヶ月連続舞台と「もう一度家族」、おまけの「魔の季節」。どうだ。これで期待するなって方が無理だ。今年の内海光司はやる。やってくれる。…筈だ。統計によれば。野村監督のID野球を越えたじゃあなちゃんのIDワンフー道。この計算が合っている事を心から願ってやまない。ああそうそう、付けたしの様だが、御誕生日、おめでとう。
TOKIOがいる時代(1/15)
TOKIO。それは今ジャニーズで「全ジャニーズ」をあげる時に、忍者同様「忘れない様に努力しておかなければならない」グループ。
ファンの方には申し訳ないが、TOKIOというのは地味なグループだ。私がTOKIOのメンバーで一番最初に認識したのは山口達也であった。何で彼の名前を覚えたかと言うと、平家派体力測定という雑誌の記事で、彼が殆ど全ての種目一位だったからだ。おっ、こいつは残るかも知れないぞと当時はひらめいたものだが、良く考えればこの「平家派一」という称号からして地味の勲章という感じである。まるで「武蔵境のスーパースター」みたいだ。かつての同輩・古川栄司は抜擢されて忍者に加入してデビュー。つまり山口達也、当時にしてみれば「忍者にも入れなかった男」なのである。寂しい。中学受験するにあたってまず四谷大塚に落ちた様なものだ。
平家派消滅後、坂本昌行、城島茂、山口達也、国分太一の4人でまずTOKIOが結成された。これ以前に城島茂が「俺と坂本と山口(?太一だったかな?)でジュリアってバンド作るんだ」と言っていたので「おっ、これが前フリでこの後こいつら組むんだな」と思っていたらTOKIO結成だったから、しめしめと思った記憶がある。何がしめしめだったのか知らないが。
この初代TOKIOメンバー。マーサ、 ゲル、達也、太一。凄い。何だかジャニーズ地味王者決定戦みたいだ。 なんと地道で堅実なグループなのだろう。実は私は昔のTOKIOの切り抜きをとってあるので、
ちゃんと見返せばいいんだが、ともかくここらへんからマーサが単独ドラマ・舞台出演の為TOKIOから姿を消して、いつのまにかまぼと啓ちゃんが加入していた。これが「僕のシンデレラ」時代である。しかし若いピチピチの男の子が加入しても、TOKIO全体に漂う地味・無個性感は拭い難かった。大体舞台デビューがPLAYZONEではなくシゲの舞台というのもこれまた地味だ。ジャニーズマイナーリーグ一直線である。個人的には私はこの「僕のシンデレラ」という舞台は好きだった。だが、あんなに空いていた青山劇場は後にも先にも見たことがない。
しかし。私はTOKIOが好きだったのだ。だからこの不精な私が切り抜きまで取っていたのだ。パッと見た派手さはない。わっと笑う面白さもない。しかししみじみ読むと、味があって仕方がない。それがTOKIOだった。
小島啓の面白さについては再三語ってきたので今回は割愛しよう。ゲルは合宿所談義がおかしかった。食器洗い機の中に入ろうとしたがうまく扉が閉められなかったので太一に閉めさせた、などとある。どうしてそんな事をしてみようと思ったのだリーダー。それをさせられた太一の心境というのは如何なるものか。その太一も、大抵アイドルの女性像と言ったら「目の綺麗なコが」とか「何かに一生懸命なのがいいよね」などと言い出すが、彼は違った。「トイレに行って手を洗わない様な子がいいよね!」とのたまった。つまりそのくらいざっくばらんな方がいいと言いたいのだろうがこの表現も凄い。
TOKIOの面白さとは、中学生の男の子がいきなり「俺、UFO呼んでみせるぜ!」と盛り上がり「俺もやるぜ!」「屋上で呼ぼうぜ!」などと計画を練りはじめるおかしさに似ている。女にはわかり得ない突飛な思考回路と、それを不自然に思わない真剣な能天気さである。私にとってTOKIOは「アイドルの男の子」ではなく「男子」だった。「ちょっと男子真面目に掃除やりなさいよー」の「男子」である。
それからTOKIOは長瀬智也を迎えた六人体制となり、小島啓が抜けた今の五人体制でデビューを果たした。地味なTOKIOを焼き直そうという熱意に満ちたメンバー再編成と智也の革短パン。周囲の狼狽をよそにTOKIOは頑張った。事務所も頑張った。だが、周囲の焦りとは裏腹に、TOKIOはジャニーズの昼行灯と化していった。今となってはもう、誰も、TOKIOにアイドルグループとしての一大ブレイクを期待するものはいない。ポストSMAPの座はもはやKinkiかV6のものだろう。だがそれでいいのだ。TOKIOに王道は似合わない。TOKIOにしかないTOKIOだけの魅力というのは、華やかさや端麗さではなく、クラスの男の子が真剣に「だからよ、俺が先生ひきつけとくから、お前ほか弁買って来いよ。まず作戦はこうだろ」などと議論してる時の様な馬鹿馬鹿しい可愛らしさである。そしてそれを求めるひねくれた通好みのファンというのは確かに存在するのだ。例えそれが時代を動かす程の人数と機動力を持たないにせよ。
TOKIOはコンビニの輪ゴムだ。誰が買うのかと言われながらいつも売られている。 そしてそれが必要な人は確かにいるのだ。TOKIOがいる時代。
それはジャニーズ事務所が余裕を持った商売の出来る時代であり、 ありきたりでは満足出来ないファンが認められている時代であろう。 あくまでも私見なので、TOKIOファンの方にご不快の向きがあったら申し訳ないと、
気弱にしめておこう。TOKIOがいられる時代がいつまでも続く事を願ってやまない。
生まれいづる悩み(1/17)
聞いた瞬間、さしてスイッチが入らなかったので話題にするのが遅れたが、大沢樹生さんに男の子が生まれた。おめでとう。
お父さんは「あの事務所には入れない」などと失敬な事を言っていたが、きっと両親どちらに似ても目の大きい、少なくとも幼少時は文句なく愛らしい子供だと思うので、今すぐ内海光司のところに里子に出して英才教育をして貰えばいいジャニーズになるのではないかと思う。ちなみに何故「幼少時は」と但し書きがつくかと言うと、両親ともに濃い顔だちをしている為、それを受け継ぐとバランス次第では成人後ガクッと崩れる可能性があると踏んだからである。未来ある幼児に今からこんな事言って申し訳ないが
さて、スイッチが入らなかったわりに何故今話題に持ち出したかと言うと、名前の事を考えたら俄然面白くなってきたからである。それは、生まれた子が男の子だからだ。大沢樹生の性格上、ジャニーズ事務所に関係のありそうな名前は避けるに違いない。しかし一生懸命避けても、あれだけの人数がいるのである。誰かと同じ名前、もしくは似たような名前にぶつかってしまうのではなかろうか。例えば今はやりの「ゴウ」も「ユウタ」も駄目だ。どちらもタレント、もしくは関係者に存在してしまう。最近人気が急上昇した「タクヤ」も勿論駄目である。「コウジ」はもっての他だし「ジュンイチ」や「ヒロユキ」などよくある名前は当然事務所の中にもある名前である。現ジャニ、元ジャニ合わせれば、50人分近くの男の子の名前が使えないという事になってしまう。役名も駄目だという事になればいよいよサイアクである。これは結構苦しいぞ。
ちなみに私がずっと主張していた名前は「みきすけ」である。かわいいと思う。おそらく採用されまいが。友人のオススメは「三郎」だった(だから苗字はキタジマじゃないんだってば)「秀高」というカルトなアイデアも生まれたが、これもおそらく採用されないだろう。一番ありそうなあたりでは「伸」「良」「功」などの一文字シリーズか「和平」「雄大」などアグネス・チャンの子供みたいな、ありそでなさそな熟語シリーズ、あとはバイリンガルな母(注・母のみ)を意識した「慈英」「吐夢」などの横文字当て字シリーズ。祖父母が名づけた場合は一番、両親で考えた場合は二、三番の可能性が高いと思う。
樹生は脱退以来ジャニーズ事務所やその関係者の殆ど(一部メンバーを除く)を嫌っている様に私には見える。挫折も葛藤もあったろうが、あれこそが彼にとっての黄金時代であった事だけはファンとして否定して欲しくないと寂しく思っている。だからそれを逆手にとって名前についてもこんな意地悪を言っているわけだが、本当は子供に「光」だの「元治」だのという名前をつけないまでも「お父さんは昔光GENJIだったんだぞ」と胸を張って言ってくれるパパであってくれればなあと思っている。…無理だと思うけど。だから私は樹生には期待しない。舞ちゃんよろしくね。別に「ママは昔セーラー服反逆同盟だったのよ」と胸を張らなくてもいいから。
世情(1/20)
最近ジャニーズショップの袋を持った子が街に多い。以前ならそういう子は大抵地方から来た修学旅行生か何かだったが、最近は都内の女子中高校生が平気であの袋を持って歩いている。私達の頃はショップに行く時は必ず大きめの鞄を用意したものだが…時代は変わったものだと老兵は一人呟く。
SMAPのブレイク以降、世間ではいつの間にか「ジャニーズはオッケー」という事になったらしい。それ以前はジャニーズというのは子供の玩具か、熱狂的なファンだけが夢中になる閉鎖的な世界だと思われていたらしいが、今はOLが平気で「私SMAPとか結構好きなんですよおー」と言っても部長あたりが「ほうほう、そうかね。やっぱりキムタクかね」と愛想良く言ってくれる時代になった、様な気がする。「中居君なんですー」「ほうほうナカイクンかね、あのいいともに出ている子だね」「部長詳しいじゃないですかあー」「いや実はうちの娘もファンでねえ、わっはっはっ」…と、いつまでこの会話を書き続けるつもりなのかじゃあな。ともかくそういう時代な感じがするのである。
それが私達の言うところの「木村拓哉」と同じ人間かどうかはともかくとして、ここまでジャニーズ事務所を世間に開いたのはやはり「キムタク」なのだろう。たのきんも少年隊も成し遂げなかった偉業をたった一人でやってのけるとは、キムタク、劇画風に言えば巨(でか)い男である。ジャニーズ事務所の勝海舟と言ってもいいかも知れない。
今までジャニーズを頭から馬鹿にしていた世間一般の男の子達は掌返した様にポパイやメンズノンノで彼らのファッションやヘアスタイルを真似、女性誌は勿論スキャンダルも書くが、圧倒的に美談を多く載せる事にした。光GENJIの頃、女性誌に「光GENJI」という見出しがあればそれは8割の確率でスキャンダルであったが、今は8割方美談である。いつの間にか「ジャニーズはオッケー」になったのだ。SMAPより、後のジャニーズに関してだけは。
そう。何故か今でも「光GENJIはNG」なのだ。ジャニーズというのは「おしゃれ」なのだという評価をどさくさまぎれに得た今となっても、光GENJIはダサいという事になっている。「永野って歌手とか誰が好きなの?」と聞かれては「光GENJI」と答えて、必ず「えーっ!光GENJI?!」と驚かれたものである。その評価は今でも変わることがない光GENJIが好きだと言えば「えーっ」と言われる。これだけ世間でジャニーズはオッケーだというのに、である。
大好きな光GENJIが「えーっ」という不等な評価を得る事が、当時私は悔しくて仕方がなかった。大体、名前が悪いのだ、光GENJIというわけのわからない名前をまず変えようと、結成から五年も経った頃に一人で主張した事もあった。「光GENJIが好きなの」「えーっ」という言葉の中には、光GENJIというのはバカな子供の集団であり、そんなものにいくつになっても夢中になっているのはどういう事だという非難が込められていた様に思う。どうしてそうなるんだ、ちゃんと光GENJIを見てくれればきっといいところもわかって貰えるのにと、歯がゆく悔しい思いをしていた私はまるで「これを使えば地球の病気はなおるのに!」と一人で心を傷めているアムウエイのセールスマンの様であったろう。
光GENJIは解散によって「光GENJI」というグループの可能性を放棄した。だから彼らはもう汚名を返上する事は出来ないし「オッケー」の中に加わる事も出来ない。光GENJIは永遠にNGのままだ。私達はすんでのところで波に乗り遅れてしまった。それでも私達は光GENJIが好きだった。神様が来て、さあ今から時間を戻してあげるから好きなグループにつきなさいと言ったところで、やっぱり光GENJIを選んでしまうだろう。NGでもダサくても、時代遅れでもカッコ悪くても、やっぱり彼らがいいのだ。私達は間違えていたわけではなかった。だから老兵は、悔やむ事も羨む事もなく、ただ呟くのみである。
「光GENJI」という、 馬鹿馬鹿しくも愛しい名前に無限の付加価値を見いだせる人は、 あまたいる「ジャニーズのファン」の中にも殆どいなくなってしまった
電脳アイドル(1/22)
インターネット元年…は去年だったらしいから、インターネット時代二年目。みんながインターネットに挑戦しようとしているらしく、ほぼ毎日友人から入れ替わり立ち替わり電話が来て「設定がわからない」と泣きつかれる。私がインターネットをしているとどこで聞きつけて来るのだろうと思ったら、年賀状にMAILアドレスも書いたのがいけなかったらしい。今日も今日とてPPPだTCPだと、ぴーぴー言ってる人からのお電話が来る。
私も重度の機械オンチで、設定には色々と苦労させられたので(まな板の設定なんか本当に徹夜した事がある。凄い機械オンチだという意味でも感心するが、その妄念にも頭が下がる。自分の事だが)気持ちはよくわかるから協力は惜しまないが、それにしてもぴーぴーぴーぴー…。
内海なんかはインターネットをしている、のだろうが、一体設定はどうしたのだろう。ジャニーズ事務所にとてパソコンの一台もあるだろうから、事務所の詳しい人にでも聞いたのだろうか。それとも機械に強いと常日頃自慢しているから、自分でさっさと設定したのだろうか。内海光司がメジャーになる為には、何か一つに突出するべきだと私は常々言っている。京本政樹なんかウルトラマンひとつであそこまで行ったのである。内海光司も向こうを張って「仮面ライダーと言えば内海」として、内海光司仮面ライダーコレクションといって玩具を出すくらいになって貰いたいと思っていた。
今、今すぐにだったら男チバレイの座も空いている。パソコンパソコンと騒ぎ立てて、どこに行くにもPOWER BOOKを振り回していればかなり効くに違いない。男チバレイ。やはりウチコウと呼ばれるべきであろうか。「内海光司の"よくわかる"インターネット」だの「内海光司と作るホームページHTML3.0」などという本を出版してシンポジウムやイベントにも参加。「歌って踊れるデジタルクリエイター」を名乗り、ゲームも発売しよう。勿論たかねさんが以前に仰言っていた様に、MacのCMもやって雑誌の表紙も飾る。昨年末に放映されていたNIFTY-ServeのCMも電脳アイドル・ウチコウが引き受けようではないか。
内海光司のコンサート。熱狂する客席。汗をふきながら楽屋に戻ってきた内海光司がPOWER BOOK(別にThink Padでもリブレットでもいいんだけど。Macユーザーとしては一応)を開く。"コンサート、最高だったよ"のメッセージがメールで届いている。微笑む内海光司。囁くナレーション(勿論本人ボイス)「ステ−ジでは聞こえない、君の声が届いた」YES、We're
NIFTY。…いいっスね。ちょっと深く考えると不思議だけどね。その子、コンサート終わってすぐザウルス開いて内海にメール送ったんだろうか。私みたいな女だねそれは。
少なくとも現役ジャニーズで「自分で」ホームページを作っている人間はまだ、いない。今すぐ自分のホームページを作ってガンガン更新していけば、少なくともインターネット関係、パソコン関係の雑誌からはすぐに取材が来るに違いない。なーに作るのはプロに任せておいて、動画でも乗っけた派手なサイトを作って、はい作りましたのは私でございと澄ましていればいいのである。いや、内海光司にはそれが出来ないのか。やはり一からねちねちねちねちと自分で作らなければ気が済まないのか。きっと今頃、誰の手も借りずに本にくびっぴきで、せっせとホームページを製作しては、文字化けして首を傾げているに違いない。光司、タグだ。タグを閉じるんだ。
そうして内海光司が入魂のホームページのタイトルページをねちねち作っているうちに、要領のいい淳君あたりが人脈を駆使してホームページを公開し、脚光を浴びるに違いないのだ。30前にブレイクするチャンスはこれしかないというのに。光司、テキストはJISだ。S-JISだから文字化けするんだ。
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